2010/12/16

BDP-S370 リモコン不具合

http://www.sony.jp/bd-player/support/information/20101209.html

・・・だということで。ソフトウェア・アップデートはネットワーク経由でいつもどおり問題なく終了。

保証書に記載の製造番号を確認したら、見事にリモコン不具合の対象になっていたのでタイミングをみて連絡をしようとは思っているが、マルチアングルとか、使わないし(笑)

2010/12/15

エディ・マーフィの劇的一週間 (2009)

Imagine That (☆☆☆)@WOWOW 録画

WOWOWで放送された国内劇場未公開映画を録画で鑑賞。

1982年の『48時間』で鮮烈な映画デビューをしてからすでに30年近いエディ・マーフィだが、そのキャリアには幾度もの浮き沈みがあるわけだが、ここ数年の低調ぶりはちょっと目に余るものがある。『ドリーム・ガールズ』でアカデミー賞ノミネートされながら受賞できないとわかると憮然とした表情で会場をあとにして業界内で不評を買ったのがケチの付き始めではないか。この間の離婚や子供の認知をめぐるスキャンダルで、鉱脈を見つけつつあった「良き父親」キャラクターが傷ついたのも痛いところだ。

で、本作。これも「父親キャラクター」によるファミリー・コメディ路線の一本である。まあ、仕事一筋で父親失格の男があることをきっかけに娘との距離を縮め、父親としての責任に目覚めるといったよくある話なのだが、久々にちょっと面白い。

エディが演じるのは機関投資家や富裕層を相手にした投資顧問会社のやり手マネージャーだ。創設者が会社を売って引退しようとしているらしいときき後釜を狙うべく奮闘するが、先住民気取りのプレゼンテーションで顧客の心をつかむライバルに遅れをとりがちで焦っている。そんな大事なタイミングで、別れた妻との約束で娘の面倒をみなくてはならないようになる。両親離婚のショックからか、安心毛布を手放さず想像上の友達(imaginary friends)と会話をする娘に手を焼くエディは、仕事に使うドキュメントをめちゃめちゃにされて激怒。ところが、落書きやイタズラに見えたそれは、娘が想像上の友達から聞きだした投資アドバイスで、その的中度合に上司も顧客も度肝を抜かれることになる。

そんなわけでエディは、最初は半信半疑で娘と一緒に毛布を被り、娘が遊ぶ想像上の世界でご神託を聞こうとするようになる。このあたりから、先入観なしに映画を見ていると、この話がどのように展開していくのか、ちょっと想像ができなくなってくる。果たして、毛布をかぶって回転するとそこにはファンタジー世界が広がっているのか?・・・いや、実のところ、映画のミソは、主人公であるエディにも、観客にも、娘が言う想像上の世界や友達が見えるわけではないことだったりする。

自身の出世のために娘を利用していたエディが、どこで父親としての責任を自覚したのか、どんな心境の変化があったのか、肝心なところが丁寧に描かれているとはいえないが、毛布一枚に子供じみた大騒ぎになった挙句、ハっと我に返る瞬間があったのだろうと想像する。

共演する「先住民気取り」のトーマス・ヘイデン・チャーチの怪演、伝説の投資家マーティン・シーンの貫禄がいいね。

2010/12/02

AppleTV (2台め)

AppleTV。1台めが気に入ったので、このあいだ、2台めを買った。家中のTVにつけたくなる、と前に書いたような気がするのだが、かなり本気だ。でも、ベッドルームとリビングにつけたらとりあえず満足なんだけどさ。

1台めはベッドルームの小さなTVにHDMIでつないで、寝る前に母艦に入っている音楽ライブラリを聴くのをメインに使っている。しかし、小さな液晶TVのスピーカーで音楽を聞いていても音が良くない。本当は同じ部屋にある小型ステレオにAppleTVから光ケーブルで音声を出力したいところだが、CDレシーバーの裏側をよくよく見てみると、光OUT端子はあってもInput側の端子がなかったのだ。これは誤算。部屋内の配置に合わせて買った長めの光角ケーブルが無駄になってしまった。

2台目のAppleTVは、満を持してリビングに設置。

最初、どういう接続にするかはいろいろ悩んだ。HDMIでテレビに直接接続すると気軽に使いやすくなるが、AVアンプにつないだほうが曲がりなりにも5.1chのスピーカーから音を出せるわけで、AppleTVのコンセプトのひとつでもある家の中で一番いいスピーカーにつないで楽しもう、というのに適っているし、もともとそれがやりたいことである。

しかし、悩んだのは帰りの電車の中だけだった。

うちに帰って久しぶりにTVまわりの裏側をのぞいて改めて気がついたのだが、実は、リビングにあるTVもAVアンプも、HDMI端子が全部埋まっていて、新たな機器をつなぐ場所なんか残っちゃいなかったのである!

おかしいなぁ、ひとつくらい空いていると思っていたんだけど。実際のところ、TV周辺にすでに5台のHDMI機器が転がっていて、2台+アンプの映像出力がTVにある3つのHDMIを占拠、もう2台がアンプのHDMI入力を占拠していたのだ。もう1台はHDMI出力を諦めてD端子接続になってるし。

そこにHDMIでしか繋げないAppleTVが仲間入り。さてどうするか。

TVに接続している2台のHDMI機器は、映像だけ直接出力する目的のPS3とBDプレイヤーであった。このうち、PS3のほうをコンポーネント出力でAVアンプ経由の接続に変更し、空いた端子にAppleTVをつないだ。そこで、余っていた光ケーブル登場。HDMI接続に加え、AppleTVとAVアンプを接続。さあ、どうだ。

これで気軽に使いたい時にはTV&AppleTVで、ちゃんと音を出したい時にはAVアンプ経由で鳴らせる。割と理想的じゃなかろうか。光音声出力端子を残しておいてくれたApple、偉い。

でもPS3がコンポーネント出力になっちゃったけどな。

機器のポテンシャルから考えたらAppleTVなんぞよりPS3が断然上なのだが、AppleTVにはHDMIしか選択肢がない以上、仕方があるまい。まあいいや。あんまりゲームしないし。BD見るなら専用プレイヤーで見ればいいし。

しかし、iTunesライブラリに入っているCDジャケット画像、でかい画面で見ると汚いやつが気になって仕方がないなぁ。ベッドルームの小さいTVで見ているときでも気になっていたんだが、もともとの画像サイズが小くて解像度の悪いやつが貼ってあると、かなり目立つ。暇なときにボチボチ画像ファイルを入れ替えていくか。

2010/11/17

ムーラン(1998)

Mulan ☆☆☆★(@ WOWOW録画)

ディズニーが古代中国の伝説を題材に長編アニメーションを作った。中国市場への目配せなどと評されたが、そういう経営判断はあったにしろ、なかなかの新機軸といえよう。

だいたい、男装して戦場にいき、救国のヒロインとなる女の子が主人公である。『美女と野獣』以来、能動的、積極的で賢いヒロインが描かれるようになってきたが、これはその極み。定番のミュージカル要素(挿入歌はマシューワイルダー作)もあるが、ダイナミックなアクション・アドベンチャーの側面もある。なんと、スコアを担当したのは巨匠ジェリー・ゴールドスミスだ。この音楽が「いつものディズニー映画」とは決定的に違う雰囲気をもたらしている。CG技術を導入して描かれた戦闘シーンも、この音楽で迫力倍増である。

中国の話しということで、キャラクターのデザインや美術、背景、アニメーションのタッチにも工夫の跡があり、それっぽい雰囲気が出ている。これは改めて見てみると、かなり力作だと思う。かなりオリジナリティも高い。

子供向けのマスコット・キャラクターとして、幸運のコオロギと、守り神のドラゴンが出てくる。このあたりは典型的なディズニーっぽさが出ているところだが、オリジナル言語版ではエディー・マーフィが声を当てたドラゴンが大人気だった。今回は吹替版で見たが、そこは器用な山寺宏一、雰囲気をうまく掴んでいると思った。

これ、日本ではヒットしなかったね。もったいない。

まあ、米国のスタジオが中国を題材にアニメを作る事にとやかくいう筋もあるんだろうが、日本最初のカラー長編アニメ映画は「白蛇伝」(←中国の説話)だしな。要は、面白ければいいのだ。

2010/11/16

ポカホンタス(1995)

Pocahontas ☆☆★(@WOWOW録画)。

前年に『ライオンキング』を大ヒットさせたばかりの、ジェフリー・カッツェンバーグ指揮下のディズニーが手がけた野心作と呼べる1本である。しかし、英国人のヴァージニア入植にあたって、白人ジョン・スミスと現地人の酋長の娘が恋に落ちたという史実によらない「伝説」を、征服者白人側目線で都合の良い口当たりの良いお話しとして批判的検証精神なしに描いたことから、作品を巡る様々な論争がヒートアップしてしまうという不幸な結果を招いた。

作品として野心的であるというのには、ひとつには自分たちの国、アメリカを舞台とした話に正面から取り組んだということがあるだろう。そして、叙事詩的な作品・物語の性格もある。子供が飽きないようにアライグマやハチドリといったマスコット・キャラクターは登場させているものの、基本は魔法やお伽話が介在しないストレートなドラマだ。

こうしたことを受けて、美術や音楽なども、それなりに気合が入っていて見応えがある。『リトル・マーメイド』にはじまる作品群のなかで、それまでの流れとは少し異なる新機軸が打ち出されたのがこの作品で、それは翌年の『ノートルダムの鐘』、98年の『ムーラン』などに繋がっていく。

一応、現地人やその文化は好意的に描かれ、白人入植者側が侵略者として悪く描かれてはいる(歌詞の中で現地人を差して入植者らが"Savages" 野蛮人と歌うことへの反発など、言い掛かりに等しい。)が、白人側の「悪」を、責任者である総督ひとりに集約・単純化することで矮小化していると感じられる。結局「白人に対して理解のある現地人が良きインディアン」だということになってしまっており、白人にとって都合の良い描かれ方という謗りは免れまい。

このあと、現地人たちは舞台となったような豊かな土地を追われ、土地や権利を騙すようにして取り上げられ、居留地に押し込められていくことを我々は知識として知っている。植民時代の「相互理解」の物語は、だからその残酷な結末まで描かない限りは、侵略者にとって都合の良い物語にしかならない。そこが本作の、本質的な弱みである。

2010/11/15

新AppleTV は、なかなか秀逸

早速というか、「新AppleTV」を買った。・・・信者だと云われた(笑)

寝室の小さなTVにつないでみた。手のひらサイズ¥8,800円、Apple の垂直統合モデルであるという限界はあるにしろ、それ故にというべきか、なかなか秀逸な製品だと思った。試しに一台買ってみたが、複数台買い増して家中のTVやAVシステムにつないでしまいたい衝動に駆られている。

<欲しかった理由>

そもそもなんでAppleTVを買ったかといえば、うちにあるiPod/iPhone/iPad の母艦になっているPowerMacG5に入っているCDにして600-700百枚分(推定)の音楽を、リビングや寝室のステレオやTVから聴くことができるようにするためである。

そんな単純なことを実現するために、長い間、いろいろやってきたのである。最初期は、大容量のiPod に中身を全部入れ、ドックからの音声出力や、AVアンプ・メーカーが出している専用のコントロールドックでAVアンプにつないだりしていた。AirMac Express にステレオのAUX端子をつないでリモートスピーカーにしてみたりもした(これは手元でコントロール出来ないのが問題だったが、今ならリモート・アプリで問題解決できるかな)。無線LANにつないだもう一台の MacBookで母艦とライブラリ共有してMacBook側をステレオにつないだりもした。

最近はDLNAサーバ/クライアント機能やネットワークHDDを使ってそれをやろう格闘していた。TVやPS3にクライアント機能があったので、Macにサーバー機能を持たせたり、ネットワークHDD にライブラリを全部コピーしたり。シェアウェアの中にはよくできたものもあって、PS3からだとまあまあ使えるものもあった。が、iTunes そのものの使い勝手には及ばず、今ひとつという感じ。クライアント側の機器によって見える/見えない、フォーマットによって再生できる/できないなどもあって、どうも思うようなことが思うようにできない。

まあ、こういうことに興味が有るわけだから、前のバージョンの AppleTV が発表されたときも買おうかと迷ったほどである。が、当時は自分の中で何か決定打にかけるものがあった。しかし、今回のサイズ、値段、「ストリーミング再生装置」と割り切ったコンセプトを見て、ああ、これが欲しかったものかもしれない、と確信したわけだ。

<セットアップは簡単>

さて、セットアップは簡単。電源ケーブルをつなぎ、HDMIケーブル(⇒別売なので注意)でTVと、あと、今回は有線でLAN接続したのでイーサネットケーブルでネットワークとつなぐだけであった(無線LANにも対応している)。

TVの電源を入れ、接続した入力先に切り替えると、有線LANであったために何もしなくても自動的にネットに接続されていた。あとは設定のメニューのなかからコンピュータを選び、ホームシェアリングを行うためにAppleIDとパスワードを入力しただけである(母艦側は既にホームシェアリングの設定済)。

入力はこの段階では画面に表示されるソフトキーボード上でカーソルを上下左右に移動させて行う。まあ、こういった方式はちょっと面倒ではあるが、難しいわけではない。上下左右・決定・メニュー・再生/一時停止しかボタンのないシンプルの極みのような付属リモコンでも操作できるようにするにはこれしかあるまい。

以上で終了。

<所感>

セットアップが終われば、母艦のiTunesライブラリはストレスなく見られるし、YouTubeも、Flickerも、始まったばかりの映画レンタル視聴などもできる。いや、その程度のことなら、CATVやPS3や、その他のものでも実現しているというのはわかるんだが、こちらのほうがインターフェイスが良く出来ていて使いやすいし、何よりも動作が俊敏でストレスがない。使ってみようという気分になる。

AppleTVを期に開始された映画のダウンロードレンタル/販売は、私の場合は母艦側でダウンロードしてiPadで同期というような使い方には興味があっても、TVで見ようとはあんまり思わない(BDもあるし、WOWOW録画等もあるし、、、)のだが、これだけ操作性がよいのなら、ついつい使ってしまうかもしれない。\8,800というHW値段は、確かにHW的にどうこう言うほどのものではないからというのもあるんだろうが、どこかトロイの木馬的なところがあって、これが売れたらコンテンツも売れるというのも念頭にあるだろう。

セットアップ時の文字入力方式が少し面倒だと感じたのだが、セットアップ後にiPhone やiPad の "Remote"アプリからAppleTVを操作できるようにペアリングというか、登録ができるようになる。そうすると、「検索」など文字入力が必要な局面でiPhone/iPad上でキーボード入力モードが立ち上がるのである。これは感動的に便利。たくさんあるライブラリー内から目的のコンテンツを探し出すのにも、iTunesライクなインターフェイスが使える。これもまたすごく使いやすい。

AppleTVのリモコンではTVの電源や音量の操作はできないが、このリモコン、赤外線方式だよね。おそらく標準的な学習リモコンに覚えさせることができるんじゃないかと思う。寝室もTV、R1のDVD、BD、そしてAppleTVとリモコンが増殖してきたので、次は学習リモコンに1本化することにチャレンジしてみよう・・・え、何? AppleTV側で他のリモコンを学習してくれるの?えー!!!すごいぞ、それ!! 画期的すぎる。(でも、DVDやBDもまとめて1本化したいんだよな。。。)

2010/11/08

BDP-S370 ソフトウェア・アップデート

SONY BDP-S370 購入 が一番見られているエントリーらしい。みんな、購入前に色々調べてるんですかね。まあ、あんまり役に立つことは書いていなかったと思うのでがっかりされるかもしれない。ただ、本当、起動はこれまでのがなんだったかと思うくらい早くなり、これは快適。まあ、これくらいで当たり前、という言い方もできるかもしれないが。

さて、昨日寝る前に、最近届いたBDの特典映像くらいでもみておこうか、と久しぶりに立ち上げたら、ソフトウェア・アップデートがあると表示されたので、いわれるままにネットワーク経由でアップデートをかけた。ここにお知らせが出ている件だね。多分。

まあ、お知らせの内容を読む限り、当方とはあんまり関係なさそうな症状なので、アップデート前と後でどう変わったとか、何にも言うことができない。ただ、アップデート時間は言われている15~20分もかからず、順調に終わった。有線でブロードバンド回線につなげてあれば、取り立てて問題にはならないだろう。

本当はアップデートついでにDNLA対応とかやってくれると嬉しいのだけど。ケチ。

2010/11/07

ゴーストたちの恋愛指南!(2009)

Ghosts of Girlfriends Past (☆☆☆★)@WOWOW 録画

さて、WOWOWを契約してみるようになってしばらくたつが、楽しみのひとつは「未公開もの」だ。どうしようもないのもあるが、結構な割合でこちらの好みの作品が放送されている。

で、これもそんな一本だ。邦題ではコメディだろう、ということの他には何のことやらさっぱり分からんのだが、原題を聞けばピンとくるんじゃないか。

Ghosts of Girlfriends Past...ね?

そう、最近ではロバート・ゼメキス版も公開されたディケンズの『クリスマス・キャロル』の翻案なんだな。

ご存知のように、「クリスマス・キャロル」では、強欲なスクルージのところに3人の"Ghosts of Christmas" (Ghost of Christmas Past/Present/Yet to Come)が順番に彼の元を訪れ、過去・現在・未来をめぐり主人公に改心を迫る。本作では、女たらしのファッション・フォトグラファーのところに、過去・現在・未来の女の霊(生霊?、妄想?)が現れて、生き方を変えないと寂しい死を迎えることになると揺さぶりをかけられる。

主人公はマシュー・マコノヒー。この人は、無責任な軽さだけでなく、自信過剰で嫌な奴が実は真摯でいい奴という2面性や、揺れる胸のうちみたいなものを無理なく見せられる。3枚目もいけるが、2枚目もいける。『トロピック・サンダー』ではオーウェン・ウィルソンの代替みたいな役を演じたが、オーウェン・ウィルソンには本作の主人公は務まらないだろう。案外微妙な違いが大きな違いになるものだ。

で、この男を無責任な女好きに育てた師匠(叔父)が、なんと、マイケル・ダグラスだ。このキャスティングを思いついた奴は天才じゃなかろうか。映画ファン的に一番の見所は、ロバート・エヴァンスを模したと噂のダグラスの演技であることは間違いない。本作のヒロインで、主人公がかつて愛していた女性がジェニファー・ガーナー。まあ、ちょっとゴツいんだが、役柄としては合っている。そのほか、ロバート・フォースター、アン・アーチャー、ブレッキン・メイヤー、エマ・ストーン、、、映画好きにはわりと豪華な面々が出演。アン・アーチャーは久しぶりだなぁ。きれいだけど、さすがに歳をとった。

監督はマーク・ウォーターズ。この人、リンジー・ローハン主演の良作『フォーチュン・クッキー』『ミーン・ガールズ』のひとと知った。わりと信頼できる作り手じゃなかろうか。

主となるストーリーは、主人公がめちゃめちゃにした弟の結婚式の収拾をつける話と、かつて思いを寄せていた幼馴染の女性との関係修復という2本の柱に巧みにアレンジされ、並以上のロマンティック・コメディになっている。が、展開は、もう、そのまんま「クリスマス・キャロル」である。翻案ものの佳作としてはビル・マーレイの『3人のゴースト』と同等以上。この手のジャンルが好きな人にはお勧めしておきたい。

2010/11/01

死霊のはらわた(1981)

The Evil Dead ☆☆☆ (@ WOWOW録画)

サム・ライミのカルト・ヒット。LDは持っているんだが、私にとってはそうそうしょっちゅう見たいジャンルというわけでもないので久しぶりの鑑賞。16mm をブローアップした、解像度が低くて粒子の荒い画面が特徴のひとつだったのだが、わりときれいにHD化されていた。

山小屋に遊びにきた5人組が、地下室で発見した妙なテープを再生したことから古代の悪霊に一人また一人と取り憑かれていく惨劇。無事に朝を迎え、脱出することができるのか?

「死者の書」の薄気味悪いデザインが秀逸。かつて、あれを再現したDVDのパッケージがあったが、いや、一切手を触れたくないね。あんなものには。

尋常ではないことを冷静に読み上げ続けるテープの声の調子がなんか可笑しい。妻に悪霊が乗り移った、唯一の方法はバラバラにすることだ、などと、いくら研究者だからって、冷静に実況生録音しているっていうのがね。

悪霊視点の主観カメラが疾走するのはライミのトレードマークみたいなもの。これ、怖いというよりちょっと笑える。

樹の枝がするすると女の子を縛り付けてレイプするシーンは批判の対象になったが、このシーン、なんか触手もののエロアニメみたい。でもこれ、それよりも古いよね。

なんだか理由は分からんのだが、取り付かれた人間をブチ殺そうとすると白い液体を盛大に吐き散らす。うぇ。汚いよ。

悪霊は主人公の周りの人間に次々と取り憑いて主人公を殺そうとするが、なんで主人公に直接取り憑かないのか、不思議。続編では片腕に乗り移られて抱腹絶倒のシーンがあるんだが、こちらにはそれがない。

この映画、直接的な暴力・残酷描写が当時はセンセーショナルだった。が、いま見ると、HDの解像度もあって、手作り感覚あふれる特殊メイクが微笑ましい。まあ悪霊にとりつかれる前は、友人や恋人だったのに、なんのためらいもなく突き刺したり首ちょんぱしたりバラバラにしたり、という話の展開も影響しているだろう。

「死者の書」が燃え、最後まで残っていた悪霊(に取り付かれた人たち)が断末魔をあげながら崩壊していくシーンはクレイアニメーションみたいなものか。薄気味悪いんだけど、すげー手作りな感じ。よく作ったな。

度を越したスプラッター描写が笑いに転化する、ということを意図的にやり始めたのは続編以降のことで、本作ではかなりストレートにホラー/ショッカー演出をやっている。が、その演出が豪快ゆえに、なんとなく笑ってしまうシーンもないわけではない。

個人的な好みは、II の方。ただ、これなくしてIIも、サム・ライミのキャリアもなかったという意味で重要な1本には違いない。

2010/10/31

キューティ・ブロンド3 (2009)

Legally Blondes ☆★ (@WOWOW録画)

これ、そもそも存在を知らなかった。リース・ウィザースプーンの人気を決定付け、続編やミュージカルまでも生んだ『キューティ・ブロンド』の安い姉妹編的ビデオ映画である。第1作、第2作と連続して放送されたので、念のため(笑)見た。

リース・ウィザースプーンが演じたキャラクターが卒業したプレップ・スクールを舞台に、英国から越してきた双子の従姉妹が騒動を巻き起こす学園コメディ。。。って、まるで原型を留めてないじゃん!

まあ、テストのカンニング疑惑で、双子の一人が放校処分になるかどうかを決める学園法廷がクライマックス・・・で、かろうじて原題にある"Legally"の面目が保たれている。。。のか?

主演ふたりの演技もお遊戯会だしなぁ。学園コメディとしてもぬるすぎて、お話しにならない。リース・ウィザースプーンも名前貸しくらいのつもりか製作者に名を連ねているが、ゲスト的な顔出しすらしないんだから、まあ、ねぇ。

2010/10/28

今月の藤子F不二雄大全集(第2期第3回配本)

今月の刊行は2冊。

『ドラえもん(10)』
今回は、1970年度生まれ(小学校入学1977年4月)が読んだドラえもん。1977年4月~1982年3月まで6年分、72話。今回もずっしり重い1冊。単行本未収録エピソードは2話程度。

1977年には、「コロコロコミック」が創刊されている。1979年4月に(2回目の)TVアニメ化。この巻の後半3年は、映画原作「大長編」の執筆と時期が重なっている。

そういう意味で、ここ何冊かは、まさにドラえもん人気の爆発と、その絶頂期に執筆された作品群が収録されている、といえる。このあたりの時期は、私がリアルタイムに読んでいた時期と概ね重なってきていることもあるのだが、絵的・形式的・内容的に「ドラえもんといえば、こういう感じ」という完成形であるように思う。

『オバケのQ太郎(7)』
こちらは小学2年生掲載集。1965年1月~1967年2月。26話中12話が単行本初収録。第1話はオバQが卵から生まれるところから始まっているが、これもまた別バージョン。

神成さんの初登場エピソードがある。最初は、隣に越してきた気難しいおじさん、という登場。次に出てくるときには、すでにドロンパが一緒に暮らしている。ドロンパは相変わらずツンデレで萌え死にそうなほど可愛い。

まだ読みかけなので、あとでコメントを追記するかな。

2010/10/27

ウィッチマウンテン 地図から消された山 (2009)

Race to Witch Mountain ☆☆☆★ (@WOWOW録画)

劇場で見損なっていたドゥウェイン・ジョンソン(ザ・ロック)主演のディズニー映画がWOWOWで放送されていたので録画鑑賞。ああ、楽しかった。ほんと。

本作、『星の国から来た仲間(1975)』のリメイクだという触れ込みだが、そもそもの原作があるらしく、その作者はアレグザンダー・ケイ。名前に聞き覚えあると思った人も多いだろう。そう、この人、宮崎駿『未来少年コナン』の原作としてクレジットされている「残された人々」の作者なんだね。

今回の映画では、ラスベガスのタクシー運転手をやっているロック様が一応の主人公だ。彼が不思議な少年・少女2人組を客として拾ったことから巻き込まれる、人類存亡をかけたアドベンチャー、という立て付けである。宇宙船や宇宙人の特殊能力を手に入れたい国家組織や、敵対する勢力が送り込んだ刺客から少年・少女を守り、政府組織が宇宙船を隠している要塞基地・ウィッチマウンテンに急げっ!

これ、ファミリー・ピクチャーではあるけれど、その出来栄えはかなりイイ。何がいいと言って、脚本の段取りが巧みで無駄がない。キャラクターの出し入れや活かし方もいい。ユーモアもあれば、ちょっとしたロマンスもあれば、主人公の更生もあれば、平和・環境というメッセージ性まである。こんなに盛り沢山なのにバランスが取れていて破綻していない。

演出のテンポも快調。子供向け・ファミリー向けを意識してか尺の長さは1時間40分程度なのだが、それ故に、非常に密度が高い。気持ちよく突っ走って後味の良い幕切れ。エンドクレジットで垣間見せる「その後」。いや、職人的に巧い。大作感はないけれど、丁寧。こういうのは気持ちイイ。

翻案・脚本のマット・ロペスはアダム・サンドラーの『ベッドタイム・ストーリー』、『魔法使いの弟子』なのでディズニー御用達ライターといったところか。共同脚本のマーク・ボンバックは『ダイ・ハード4.0』とか、トニー・スコット次回作『アンストッパブル』で売り出し中といった感じ?監督はアンディ・フィックマン。

2010/10/19

死を処方する男 ジャック・ケヴォーキアンの真実 (2010)

You Don't Know Jack ☆☆☆★(@WOWOW録画)

本作は、HBOが制作した"Made-for-TV Movie"である。

HBOというのは、米国の、いわゆるプレミアム・ケーブル局である。ベーシック・チャネルというのは、通常、基本料金でみられる多チャンネル・セットの中に入っているようなやつで、追加料金を払わなければ見られないのが、このHBOやらSHOWTIMEやらといったチャネル。日本で言えば、WOWOWみたいな感じか。

しかし「なんだ、映画じゃないじゃん。TV局製作の単発2時間ドラマのようなものだろ?」とバカにしているとびっくりする。なにせ、監督は(まあ、過去の名前になっちゃったけど)バリー・レヴィンソンだし、出演はアル・パチーノ、ジョン・グッドマン、スーザン・サランドンと、まさに劇場映画並の布陣なんだから。今年の春頃、NYC旅行中にこの作品のポスターが街中に貼られて大宣伝中だった。あまりに派手なので、はじめは劇場公開作品かと思ったくらいだ。主演アル・パチーノと脚本アダム・メイザーがエミー賞を獲得。

さて、それが WOWOW に登場。気になっていた作品なので、見逃さないように録画した。内容は、米国で130人以上を「安楽死」させ、当局や宗教関係者などから「死のドクター」と目の敵にされたジャック・ケヴォーキアンという男を主人公とし、彼が患者の自殺幇助を初めてから、殺人罪で投獄されるまでを淡々と描いていくものだ。

安楽死ってのは難しい。世界に冠たる自殺大国の日本ですら、末期患者の延命措置をやめるというだけでおおごとだし、医師が患者の「自殺」幇助をするなどといったら大変だ。変に保守的なキリスト教徒がはびこる米国ではもっと大変だ。なにせ、自殺そのものが罪であるし、「神」の領域に踏み込むあるまじき冒涜行為とみなされる。

アル・パチーノ演ずるジャック・ケヴォーキアンは淡々と患者に奉仕をする。自ら死を選ぶことに決めた終末期の患者や耐えがたい苦痛を抱える人々の求めに応じ、安楽死を迎えられるよう装置や薬品を使って手助けするのだが、同時に、マスコミを使って自らの主張を広く社会に訴えていく。これは選択の権利の問題なのだと。賛否入り乱れる中、これを苦々しく思う当局は、幾度となくケヴォーキアンの起訴を試みた挙句、自殺幇助の罪ではなく、殺人罪での立件に踏み切る。

力作である。まあ、ジャック・ケヴォーキアンという人物の主張の中で、もっとも常識的に、人道的に、理解をしやすいところを中心に描いており、人物評伝としてはフェアではないのかもしれない。が、論点を、末期患者が自分の意思で自分の尊厳死を選択する権利に絞るのであれば、本作が提起する内容の重さに変わりはない。視聴者(=観客)にいろいろなことを考えさせるドラマである。

協力者の一人としてスーザン・サランドン演ずるキャラクターが登場する。最後は重度のすい臓がんにより自ら主人公に安楽死を求めることになるという、なかなか印象深い人物なのだが、いかんせん、主人公を中心に淡々と描かれるドラマの中で、出たり消えたり、印象深い脇役ではあるが、あまり本筋に絡んでこないあたりがもったいない。また、もともと医療過誤を扱っていた有能だが野心満々の弁護士がいい味を出している。

2010/10/13

ホワイトアウト(2009)

☆★ (@WOWOW録画)

織田裕二じゃなくて。ダークキャッスル製作のサスペンス。

ダークキャッスルといえば、ここ何年かはジョエル・シルバーの低予算企画向け製作会社に堕して(?)いるとはいえ、元来ロバート・ゼメキスとジョエル・シルバーが共同で立ち上げたB級ホラー専門レーベルであるんだからして、南極基地を舞台になぞの死体が転がる映画だときけば、どんな「物体X」か?と期待するのが人情というもの。

だけど、化け物はなんにも出てこないのだ。がっかりだよ。

実態は、単にダイヤの原石をせしめようとしたじいさんのせいで、南極に死体は転がるし、ヒロインは指を失う大迷惑という話であった。(そうなのか?)

違うものを期待してガッカリされても困るというかもしれない。

が。

いや、やっぱりそういう期待を裏切っちゃいかんだろ。

タイトルどおりの「ホワイトアウト」状態を映像にして見せてはくれるが、それって、何にも見えない状態だよね。劇場で見てりゃ、ちぃっとは寒そうだったかもしれん。内容が寒いだけに。

監督は『60セカンズ』『ソードフィッシュ』のドミニク・セナ。まあ、そもそも何かを期待できる名前じゃないけどさ。ケイト・ベッキンセールのサービスショットはあるが、それが目的なら『アンダーワールド2』をお勧め。

ああ、トム・スケリット。。。昔は好きな役者だったんだが。

2010/10/07

バーチュオシティ (1995)

☆☆☆ (wowow 録画)


自己顕示欲が強い不死身の悪党と、過去の因縁を抱えたヒーローが互いに己れの存在をかけて激突するはなし。

ただし、悪党はただの人間ではない。コンピューター上で200人近くの凶悪犯の個性を合成シミュレートした人格が、ナノマシーンが構成した人造人間として現実世界に実体化したものである。

スティーヴン・キングの原作を離れてどこかにいってしまった『バーチャル・ウォーズ(1992)』の監督であったブレット・レナードが、仮想世界の存在が実体化するというモチーフゆえかバーチャルものなら任せておけとばかりに登板。

監督は三流だが、主演は既に名声を確立していたデンゼル・ワシントン、超絶悪党を気持ちよさそうに演じるのはか『クイック&デッド(1995)』などでハリウッドに売り込み中だったラッセル・クロウ。後に『アメリカン・ギャングスター(2007)』で攻守入れ替えて競演することになるアカデミー賞俳優たちが、安っぽいアクション映画でガチンコ対決、これが本作の見所である。

近未来設定なのにブラウン管ディスプレイとか、今やテレビゲーム以下の安いCG描写とか、50テラバイトの人格を格納するクリスタル状の記憶装置とか、ナノマシーンが体を構成するのになぜ繭まで作るのかとか、ツッコミどころ満載だが、まあ、こういう映画だからうるさいこというまい。

2010/10/06

imdb のレイアウトを元に戻す

imdb にはもう長いことお世話になっている。Amazon が imdb を吸収したとき(1998)のことも覚えている。

iPad を買ってすぐのことだからしばらく前なのだけど、imdbのアプリがあるというので喜び勇んでダウンロードしてみたら、いつもと違うインターフェイスを作りこんでいた。それは、確かに iPadの画面サイズに最適化され、ライトな映画ファンがちょこっと調べる、見る、楽しむ、そして関連商品に関心を持った人を Amazon に誘導するにはよく出来ている

・・・と思ったが、私にとっては全く使いづらいだけで全く鬱陶しい。アプリは即刻削除。iPad上で imdb を見るときも、当たり前のように Safari からアクセスするようにしてきた。

ところが最近、PC/Mac から、ブラウザーで普通にアクセスしても、あの忌々しい iPad アプリ・ライクなインターフェイスが出てくるようになって、困っていた。深く掘っていくとこれまでの頁が出てくるから我慢して使ってはいたのだけど、やはり使いづらい。

しかも、何気なくブラウズしていて、日本公開済み作品のタイトルが、邦題ローマ字表記されることに気がついたから頭に来た。

ほら、たとえば、"It's Complicated"(邦題:恋するベーカリー)が、"Koi suru bêkarî " と出てくるわけですな。いや、完全に日本語化して、漢字・カナ表記にするならまだわかるよ。ローマ字表記って、おいこら、お前、ナめとんのか。余計なお世話だ。

しかし、業界人向けに imdb PROとかの有料サービスも立ち上げてきているわけだから、さすがに全部が全部こんなインターフェイスなわけでもあるまいと、久々に登録ユーザーとして「ログイン」をしたうえで隅々まで見ていると、あるよ、ありましたよ。個人設定。

ここからは、もし私と同じ不便さを感じていて、まだ解消出来ていない人もいるだろうということで情報共有がてらのメモ。

(1) ログインをして、右上肩の "xxxx's Account"をクリックするとですね、個人用の "personal page" が表示される。
(2) Registration Details, Personalize, History と三つのボックスが表示されている。要は、ここで色々いじったり、確認したりできるということ。
(3) "Personalize" のなかに "Update Your Site Preference" というのがあるので、これをクリック。
(4) "Show perevious title and name page design (reference view)" のチェックボックスをクリック。
(5) 他の項目は、好みに応じていじる。最初っから Full Cast & Crew 表示にしちゃうとか。
(6) 忘れちゃならないのは、"Title Display Country" が "Original" に、"Title Display Language" が "English" になっていることを確認すること。

これで当面、元通りの使いやすいレイアウト、インターフェイスになる。

多分、前提としては登録ユーザーになる必要があると思うのだけど、最新レイアウトが使いづらいとかいう文句が出るくらいのユーザーだったら、すでに登録ユーザーになっているか、登録ユーザーになることに抵抗は少ないんじゃないかと思う。同じ問題で困っていたら、ぜひ上記をお試しあれ。

まあ、親会社 Amazon だし、ライトユーザーのニーズに焦点を当てる方向はわからんでもない。多言語・多国市場対応も方向性としては理解できる。が、中途半端はだめだよな。やっぱり。

2010/10/03

Gone Baby Gone (2007)

Gone Baby Gone (2007) 北米版BDにて

新作 "The Town" の評判が良いということで、ライブラリから買ったままになっていたベン・アフレック実質的な監督デビュー作 『Gone Baby Gone』を引っ張り出してきた。映画好きには『ミスティック・リバー』、『シャッター・アイランド』の原作者として知られているデニス・ルヘインの看板シリーズ・私立探偵パトリック&アンジーものの一編(「愛しきものはすべて去りゆく」)を、ベン・アフレックが自ら脚色し、監督。をを、そうだ。こやつ、そういや『グッド・ウィル・ハンティング』のアカデミー賞脚本家だったねぇ。

舞台はサウス・ボストン。少女誘拐事件が発生し、警察の必死の捜査が続くなか、少女の身内の人間が主人公のところにやってくる。捜索を引き受けることになった主人公らは、街で育った強みを活かして聞き込みをかけるなか、少女誘拐事件の裏には、ヤク中でロクでなしの少女の母親が巻き込まれた麻薬ディーラーとの金銭トラブルが関係していることが分かってくる。警察との密接な連携で麻薬ディーラーたちとの取り引きが実現するところまでこぎつけるが、事件は思いもよらない展開を見せていく。

出演は、私立探偵コンビにケイシー・アフレックとミシェル・モナハン。警察署長にモーガン・フリーマン、刑事コンビがエド・ハリスとジョン・アシュトン。ヤク中の母親にエイミー・ライアン(本作でアカデミー助演女優賞ノミネート)。

これは、日本未公開に憤りを感じるレベルの1級品。もう、幕開けから映画の持つ肌触りが凡百の作品と違うから。

ストーリー展開そのものの面白さは原作に負うものとしても、ボリュームのある原作の骨子を、ドラマの面白さとテーマの重たさを損なわずに、114分というコンパクトな尺にまとめ上げてみせたベン・アフレックの脚色と演出の力は認めなくてはなるまい。(同じ原作者の『ミスティック・リバー』・『シャッター・アイランド』が共に138分だ!) 無駄なく、そしてテンポ良く、しかしサウス・ボストンの地域と人々が醸し出す独特の雰囲気をロケーション撮影で活写したディテイルは豊穣だ。ここらあたりはボストン・エリアで育ち近隣に詳しいこと強みが十二分に活きている。

モーガン・フリーマンとエド・ハリスはその名に恥じない手抜きなしの名演。しかし、本作の驚きはブロードウェイ女優のエイミー・ライアン。舞台となるエリアの下層階級ダメ人間なりきりぶりは演技に見えないレベルで、いったいこの人は何者?と驚かされる。実際、NYはクイーンズ出身の彼女がオーディションのときに話した「ボストン訛り」に騙されたベン・アフレックが「ボストンはどこらあたりの出身なの?」と尋ねたとか、ロケの初日にはセキュリティ・ガードが彼女のことを寄り集まった地元の人間と間違えて現場から締め出したとか、そんな逸話が残るくらいだ。

観客自身に自分だったらどうするかと考えることを要求してくるエンディングで、嫌な後味が残るのは事実。だから観客と体調を選ぶ作品である。虐待、ネグレクト、実の親というだけで、親として相応しくない人間・環境のもとに囚われている子供に果たして希望は、救いはあるのだろうか?主人公の自分の生い立ちを踏まえた判断に納得ができるか?

ベン・アフレックの新作もまた、ボストンが舞台。今度のは北東のチャールズタウンだって。

2010/09/28

U ターン (1997)

U-Turn (1997) ☆☆☆★(@WOWOW録画)

オリバー・ストーンである。新作となる『ウォール街(1987)』の続編も楽しみだ。1997年のラジー賞で最悪監督賞・最悪助演男優賞のノミネートをうけたほど不評(?)の本作『U ターン』、実は劇場公開時にいろいろ忙しくて見損なったままになっていた。あの痛恨から13年、まさかWOWOWで初見になるとは思いもよらなかった。

いやぁ、こいつは面白いなぁ。こういうどうでもいい映画をこそちゃんと褒めなきゃダメだ。

悪意のこもった犯罪映画。というか、巻き込まれ型の不条理劇。ヤクザに借金を返済するために車を走らせていた主人公が立ち寄ることを余儀なくされた田舎町で巻き込まれていく悪夢のような出来事とその顛末。田舎町で変人ばっかりでてくる、というと、なんだかリンチみたいに聞こえるが、そこはストーン親父の映画だから、変態っぽい映画ではなく、暑苦しくてむさ苦しい映画になる。そうはいっても、オリバー・ストーン監督作ではちょっと異色な部類である。メッセージ性云々というより、彼が息抜きに作った小さめの娯楽映画という位置づけらしい。

作為の塊とでもいうべき過剰で人工的な映像と細かいカット割りがブラックな笑いにつながっている。トニー・スコットがやると「おしゃれ」になるのに、ストーン親父がやると押しが強くて暑苦しい。でも、その暑苦しさが本作の不条理でブラックなテイストに合っている、と思う。

出演はショーン・ペン、ビリー・ボブ・ソーントン、ジェニファー・ロペス、ジョン・ボイト、ニック・ノルティ、ホアキン・フェニックス、クレア・デーンズ、リヴ・タイラー・・・と超豪華なんだな。みんなの悪乗り演技が面白くて仕方がない。妻の殺人を持ちかけるニック・ノルティと、悪女ジェニファー・ロペスの間でドツボにはまっていくショーン・ペンの焦燥感。ジョン・ボイト演ずる盲目インディアン(ラジー賞ノミネート)、ビリー・ボブ・ソーントンがすごい化けっぷりの田舎メカニック、ホアキン&クレアのバカップルらが次々と登場して画面を賑わす。長距離バス乗り場で顔見せ程度に登場するリヴ・タイラーの清涼感が、むさ苦しい映画の中で際立っていたりする。

2010/09/24

今月の藤子F不二雄大全集(第2期第2回配本)

昨年夏から刊行が開始された「藤子F不二雄大全集」を定期購読している。先月から第2期の刊行が始まった。今月の刊行は3冊、いつもより早めに届いたので、休みのうちに一気読みしてしまった。

『大長編ドラえもん(1)』
「のび太の恐竜」「のび太の宇宙開拓史」「のび太の大魔境」の初期傑作3本を収録。

『少年SF短編集(1)』
1975~1979の少年サンデー・同増刊に掲載された作品9本を収録:ポストの中の明日・ひとりぼっちの宇宙戦争・おれ、夕子・未来ドロボウ・流血鬼・ふたりぼっち・宇宙船製造法・山寺グラフィティ・恋人製造法。

『パジャママン/きゃぷてんボン他』
1973~1974のテレビマガジン・たのしい幼稚園・おともだち他に連載された「パジャママン」、1976のてれびくん連載「きゃぷてんボン」と1975おともだち掲載の絵物語風「とんでこい ようちえんバス」を収録。

「大長編ドラえもん」、「少年SF短編集」は、収録作品はどれも定評のある名作。大長編は単行本入手が容易だし、短編もいくどとなく編纂された短編集になんども収録されてきたものばかり。まあ、これを機会に再読、といった感じ。

だが、今回、この2冊、連載時のカラーページを再現しているのが売り物になっていて、ちょっと違った読み方もできる。これらのカラーページのなかで、単行本化に際しての描き足しが行われたコマがカラーになっていなかったりするのである。何を描き足したのか、それによって作品がどう膨らんだのかを理解できると思う。

さて、今月の目玉は、全作品単行本初収録となる「パジャママン」である。

これは、作品の存在を知らなかった。連載誌でわかるように幼年向けマンガではあるが、これがなかなか楽しい内容である。大昔に事故を起こして地中に埋没した地球外文明の意志を持った「宇宙船」と友達になった子供たちが、特殊な能力を発揮できるスーツ(パジャマ)をもらい活躍する話。表面的には「パーマン」のさらに幼年版といった風情。主人公たちも幼い子供だし、絵柄や説明は確かに幼年向けマンガ。しかしバックストーリーや設定にSFマインドを感じさせるし、それをストーリーに活かしているところが好印象。

併録の「きゃぷてんボン」は、しっかりものの少年主人公に、子供みたいな発明家の父という組み合わせが珍しい。あと、パーマンに出てくる百面相が本作にも客演している。

ちなみに、『パジャママン/きゃぷてんボン他』の帯に、「第2期全33巻」とあるべきところ、「第1期全33巻」と書かれているミスがあったヨ。

2010/09/22

SONY BDP-S370 購入

気がつくとBDのパッケージ・ソフトが増え、WOWOW録画を焼いたのも増え、居間でしかBDを見られない環境に限界を感じたので、寝室の小さな液晶TVにもBDプレイヤーをつなぐことにした。選んだのはSONYが今月出したエントリー機BDP-S370である。

まず、この機械、薄い。軽い。小さい。まあ、再生専用機だというのはあるんだけど、BDもここまで「軽薄」になったかと思うと感慨がある。いよいよコモディティ化へ第1歩という感じ。

でもって、起動が早い。かなり早い。このくらいのスピードで立ち上がるなら、ある種の「儀式」として恭しく準備してBDを見るというより、もっとカジュアルに気の向くままに見られる。そのくらい、心理的なインパクトが違う。

使ってみたかった、iPhoneアプリの 「BD Remote」も試した。これは、同じLANにつながっているiPhone がリモコンになるというもの。説明どおりに登録し使ってみた。面白い、ていうか、わりと便利。もう少しでリモコンの完全代替ができる。たとえば、電源入切までできたらもっと便利。ついでにTVの音量上げ下げも。。。そいつはちょっとハードル高いか。しばらく使っていたら、突然、iPhone がBDPを認識しなくなった。うーん、理由不明。またやり直してみよう。

海外モデルでは搭載されているはずのDNLAに未対応のようである。NASが見えないし、PS3から見えるようにしたMacのiTunes ライブラリも見えない。BDレコーダーとかも見えない。これはちょっと残念。ファームウェア・アップデートなんかで対応してもらえたら嬉しいけど、期待できないのだろうか?

画質とか、音質とか、不明。っていうか、20インチそこそこの液晶画面、TVスピーカーで使うんだし。

いや、せっかくの大画面だからBDで、とかいうんじゃなくて、「コンテンツとしてHD、メディアとしてBD」が家庭内標準になったから、大きな画面でも小さな画面でも、リビングでもベッドルームでも家中どこでもBDが使えるようにしたいというニーズを満たすのに、このくらいのサイズ、このくらいの値段(実売価格、25,000円弱)、このくらいの使い勝手のマシンってのはちょうどいいなぁ、と思う。この用途なら3Dいらんし。

満足度☆☆☆★

減点ポイントはDNLAクライアント機能の欠如と BD Remote の使い勝手。必要のない赤白黄ケーブルの添付。まあ、いい買い物だったと思う。

ブラッド・ワーク (2002)

Blood Work (2002) ☆☆☆★(@WOWOW録画)

しばらく前のクリント・イーストウッド特集時に録画してあったのを見た。『スペース・カウボーイ(2000)』後、『ミスティック・リバー(2003)』前のエアポケットというか、このころは大作や野心作の合間に、『目撃 (1997)』、『トゥルー・クライム(1999)』といった肩の力を抜いた娯楽ミステリーを撮っていた。個人的には本作をあわせて勝手に軽量娯楽トリロジーだと思っている。こういうのはもう撮らないんだろうね。ホッとするような(?)面白さなんだけど。この三本のクリントの役柄も、泥棒・ジャーナリスト・元FBIとバラエティに飛んでいてね。あ、どれ見ても一緒だなんていっちゃだめ!

本作が公開された頃は、国内興業では主演・クリント・イーストウッドの名前で観客が呼べなくなり、どんどん扱いが悪くなっていった時期だった。『トゥルー・クライム』は銀座シネパトス公開。この映画も、形ばかりは丸の内ルーブルの年末興業であったが、正月を待たずに入れ替えを前提とした2週間打ち切りという捨て駒扱いだった。

まあ、そんな不幸な扱いを受けた本作『ブラッド・ワーク』を久しぶりに見たが、やっぱりこれ、じんわりと面白い。連続殺人事件を追っていた主人公が心臓で倒れ、引退。心臓移植を受けてリハビリ生活を送っているところに、心臓の提供者の妹が現れ、姉を殺した犯人を捜すよう求められる。主人公を扱った新聞記事を読み、珍しい血液型、移植の行われた日と姉の死んだ日などの一致点から臓器の提供先が主人公であると知ったのである。事件の捜査に乗り出した主人公は、やがて偶然の強盗殺人と思われた類似事件との共通点から、それらが目的を持って用意周到に実行されたものであることに気づく。

マイクル コナリー原作(『わが心臓の痛み』)、ブライアン・ヘルゲランド脚本。イーストウッドの無駄なく安定感のある演出が、キャラクターに血肉を通わせ、単なるサスペンス・ミステリーとしてだけでなく、ドラマとしての味わい深さを与えている。隣人として主人公に運転手役などで協力するジェフ・ダニエルズが好演。主治医のアンジェリカ・ヒューストンもいい(←いつもは化け物っぽいけど、普通の役もできるのね、という意味)。

2010/09/21

キルショット(2008)

Killshot (2008) ☆☆☆ (@WOWOW録画)

ジョン・マッデンといえば、『恋におちたシェイクスピア』のアカデミー賞監督である。まあ、あれはトム・ストッパードの脚色と、ミラマックスの強烈なアカデミー賞キャンペーンが功を奏した映画だといわれたらそうなんだけど、その後、『コレリ大尉のマンドリン』とか、『プルーフ・オブ・マイ・ライフ』とか、つまらなくはないんだけどピリっとしない凡作が続いて、完成後、長い間公開されず、危うく本国でもお蔵入りの憂き目にあう寸前までいったのが本作なのである。日本ではどうやら劇場未公開というだけではなく、TSUTAYA独占レンタル・リリースという不遇ぶりであった。このたび、WOWOWで放送があったので楽しみにしていた1本である。

なにせ、未公開映画といったって筋が違う。原作はエルモア・レナード。ワインスタイン・カンパニー作品で、ローレンス・ベンダー製作だ。もともと1998年くらいからミラマックスで映画化プロジェクトが動いていたものである。出演はミッキー・ローク、ダイアン・レイン、トーマス・ジェーン、ジョセフ・ゴードン・レビット、ロザリオ・ドーソンという製作時期を考えるとなかなか慧眼、センスの良さだ。アンソニー・ミンゲラやシドニー・ポラックも脚本改定(ノー・クレジット)に借り出されており、腐ったとはいえアカデミー賞監督の作品だ。

仕事上のトラブルでマフィアから追われる身になったロークが偶然出会ったチンピラの計画を手伝うが失敗し、事件の目撃者である夫婦、トーマス・ジェーンとダイアン・レインを殺そうとする話である。、メインプロットを中心に小さく簡潔にまとまりすぎではある。そこらへんはテスト・スクリーニングの不評を受けた再編集の影響だろう。エルモア・レナード原作としてはオフビートに弾けた感じや、ウィットが足りない。良い意味での「たかがパルプ・フィクション」だとういう割り切り、軽さがあってもいいと思うが、なんか真面目な作りになっている。とはいえ、結果として尺も短いし、過大な期待をしなけりゃ楽しめる「魅力的な凡作」だと思う。

まあ、お笑いどころはある。ミッキー・ローク演じる殺し屋は、居留地出身の混血のネイティブ・アメリカンという設定である。そんなの云われなきゃわからんよ!しかも、会う人会う人、「あの不気味なインディアン」とかいってるわけ。どこどうしたら風貌ひとつでミッキー・ロークがネイティブ・アメリカンに見えるんだ?まさか、、くずれた顔と髪型??? そうなのか?

だが、それを「お約束ごと」と目をつぶれば、さすがはローク、渋い演技でいい仕事。もちろん『レスラー』以前もほそぼそと良い仕事を続けていたのは分かっていたが、この時期、主演扱いの大きな役は珍しい。コンビを組む羽目になる若い狂犬のようなチンピラを、いま大注目を浴びるジョセフ・ゴードン・レビットが熱演、これが『(500)日のサマー』の彼と同一人物とは俄かに信じられない化けっぷり。当方ごひいきのロザリオ・ドーソンもチョイ役だがいい雰囲気。

2010/09/20

スプーフもの2本: 『ほぼ300』 『鉄板スポーツ伝説』

The Comebacks (2007) ★  (@WOWOW録画)
Meet the Spartans (2008) ☆(@WOWOW録画)

WOWOWで録画した未公開コメディ 『ほぼ300』、『鉄板スポーツ伝説』を見た。

コメディ映画の中に 「スプーフ」もの、と呼ばれる映画のジャンルがあって、米国ではそこそこの人気を保っている。コメディ映画といっても、いわゆるパロディ・ネタや細かい映像的ギャグを連ねていくタイプのもので、かつて、ZAZと呼ばれたザッカー兄弟・エイブラムズのトリオが得意とし、『裸の銃を持つ男』や『ホット・ショット』といったヒット作が出た.

今回の2本はその系譜に連なるもので、『ほぼ300(Meet the Spartans)』は、最近このジャンルの映画の量産体制に入っているジェイソン・フリードバーグとアーロン・セルツァーのコンビによるもの。『鉄板スポーツ伝説(The Comebacks)』は、邦題だけはフリードバーグ&セルツァー・コンビの『鉄板英雄伝説(Epic Movie)』を踏襲しているが、ロブ・シュナイダーのヒット作『The Animal』(脚本)、『The Hot Chick』(脚本・監督)のトム・ブレイディの監督作品である。

この手の映画では、ギャグの質(アイディア)と数(密度)が重要なのはいうまでもないが、それだけではダメで、映像で見せるセンスと、それをきっちり演じて見せられる役者も重要だし、(明確なストーリー・ラインの有無にかかわらず)構成や脚本もまた重要である。簡単そうに見えて、案外難しいのだ。

そんな当たり前のことを理解するうえでは、見ているのが苦痛になってくるほどに退屈で寒いこの2本の存在価値があるのかもしれない。まあね、なんというか、惨憺たるもので。フリードバーグ&セルツァー・コンビには何も期待できないし、トム・ブレイディもロブ・シュナイダー(とアダム・サンドラー率いるハッピー・マディソン組)がなければこの程度の作家だということだ。

これなら、下品で頭の悪いキーナン・アイボリー・ウェイアンズ(『Scary Movie』 1, 2)のほうが数段楽しいと思うが、それでも『Scary Movie 3』でZAZの懲りない生き残りであるデイヴィッド・ザッカー&パット・プロフト組に交代したら、それだけでいきなり映画がピリッと締まったものだ。(どうやら久しぶりに『Scary Movie 5』をやるつもりらしいね。)いや、結局のところ、ZAZの前にスプーフなく、ZAZのあとにもスプーフなし、という状況なのだろうか。いやはや。

2010/08/29

結婚の条件(1988)

She’s Having a Baby (1988) ☆☆☆ (@WOWOW録画)

2009年8月、だから、ジョン・ヒューズが亡くなったのはちょうど一年前である。しばらく前にWOWOWでジョン・ヒューズ特集があって、代表作6本(監督作4本、プロデュース作品2本)が放送された。

そのラインナップは、『すてきな片思い(1984)』、『ブレックファスト・クラブ(1985)』、『プリティイン・ピンク (1986/製作)』、『フェリスはある朝突然に (1986)』、『恋しくて(1987/製作)』、『結婚の条件(1988)』 である。

監督作でもドタバタ系の『ときめきサイエンス(1985)』や、コメディ『大災難P.T.A.(1987)』、ファミリー・コメディの『おじさんに気をつけろ!(1989)』、『カーリー・スー(1991)』は外れ、製作作品では『ホーム・アローン(1990/製作)』以降のファミリーコメディ路線が全部外れている。

まあ、ハイ・スクールものを再定義したジョン・ヒューズという観点でいえば、妥当なセレクションである。というより、1984~1987の短期間に、その路線の代表作が集中している密度にびっくりである。

『結婚の条件』 She’s Having a Baby は、厳密に言えばハイスクールものではない。(しかも興行的失敗作である)。

ただ、16歳で出あったカップルが若くして結婚し、結婚生活を成立させ、子供ができるまでの物語であり、ハイスクールもののカップルの「その後」を描いた物語、と読める。また、これはジョン・ヒューズ自身の結婚と結婚生活に多く類似点をもったパーソナルな作品である。これ以降、ジョン・ヒューズはいわゆる「青春もの」から離れ、ファミリー向け映画のプロデューサーとして活躍する。その区切りとなった作品である。

他の作品はDVDを持っているのだが、これは久しぶりに見た。

まあ、公開されたころには結婚生活なんてイメージできる年齢ではなかったのであんまり心に残らなかったのだが、夫としての家族に対する責任を次第に自覚しながら、しかし、一方でまだ若く、夢を捨てられない主人公の、平凡な日常や人間関係に埋没していく不安や焦りが、ヒューズらしく、誠実に描かれた良い作品だと思えた。すごく地味なんだけどさ。

ケヴィン・ベーコンが若い。親友役のアレック・ボールドウィンも若いし痩せてて格好イイ!

エンド・クレジットで男の子に付ける名前をアドバイスする面々が豪華(別のジョン・ヒューズ映画からのテイクや、パラマウントで撮影中だった Cheers, Startrek :TNG 出演者のショットらしい)。IMDB(US)にはリストが出ているが、ダン・エイクロイド、ビル・マーレイ、ジョン・キャンディ、テッド・ダンソン、カースティ・アレイ、ウィル・ウィートン、ウッディ・ハレルソン、マイケル・キートン、アリー・シーディ、アニー・ポッツ、ペニー・マーシャルのほか、マジック・ジョンソンやらオリビア・ニュートンジョンやら、音楽界の面々やら、まあ、出るわ出るわ。あーびっくりした。

2010/08/28

ブライダル・ウォーズ (2009)

Bride Wars (2009) ☆☆ (@WOWOW録画)

アン・ハサウェイとケイト・ハドソンが共演するコメディ。これ、未公開だったのね。原題 ”Bride Wars” なんで、”ブライダル” になっちゃうんだろうね。

小さいときから「プラザ」での結婚式を夢見てきた2人の親友が、手違いから同じ日にブッキングされてしまったことで関係がこじれ、互いの邪魔をしあうライバルに。際限なくブラックな意地悪合戦が続く中、2人は無事に結婚式を迎えることができるのか、関係を修復することができるのか、というお話し。

なんだかよくわかんないんですが。ひとつしかない予約スポットをめぐって2人が争う、というのならわかる。が、2人は同じ日の同じ時間に重なってしまったとはいえ、「6月某日のプラザ」を予約できたわけで、何を争わなくちゃならんのか、ということである。

互いが互いのメイド・オブ・オナーを務められない、とか、招待客に共通の友人が多いとかいうのは、まあわかる。しかし、ブライド・メイトを務めてあげたい(もらいたい)相手と、ここまで泥沼のケンカをするかどうか。ドタバタものとはいえ、日サロで焦がすとか、ブロンドを青く染めて髪の毛抜けちゃうとか、ちょっとえげつなさ過ぎて笑えない。互いを思えば、Wウェディング一択だろー、と思うわけだが、結婚式くらいはバラバラでやりたい、と、設定を成立させるための「台詞」で即刻否定されるのだ。

アン・ハサウェイもケイト・ハドソンも好きなのでとりあえず見ていられるけれど、この映画、2人が親友という設定が失敗だと思う。

例えばさ、「知り合いではないが実は似たもの同士の2人が、ひとつしかない予約スポットを巡って争うが、その過程で親友になってWウェディング・ゴールイン!」とかいうのがオーソドックスなんじゃないのかね。あるいは、ちょっとひねって「実は2人が親友どころが互いに恋愛感情を持っていて、ケンカの理由は相手が男と結婚すること自体が許せないという深層心理の発露で、最後は婚約者を捨てて女同士でゴールイン!」とかね。

まあ、おんなじネタでももっと面白くなりそうな脚本家組合ストライキ直前に滑り込みで完成された脚本だけに、練りこみが足りなかったとしかいいようがない。残念。ゲイリー・ウィニック監督。20世紀FOXがインド市場向けヒンディー語リメイクを製作中とか。←それ、見てみたいような気がする。唄ったり、踊ったりするんだよね???

2010/08/27

デイ・オブ・ザ・デッド(2008)

Day of the Dead (2008) ☆★ (@WOWOW録画)

ロメロが予算的な理由で断念した『死霊のえじき』当初構想を参考にして製作、って、そういうの「リメイク」とはいいませんからっ!

故郷の町を軍事的に封鎖する作戦に加わったミーナ・スヴァリとその弟がゾンビ禍のなか、サバイバルする話である。

軍隊が出てくること、ある程度いうことをきく手なづけられたゾンビが登場すること、「Day of the Dead」 のタイトル(原題)が原典との共通点。それ以外は別物。だいたい、ゾンビが違う。死者が蘇ったんじゃなくて、ウィルス感染して変貌した人間。(←それって『ゾンビランド』。)そうなると、タイトルでも嘘をついていることになる。

監督はあいつ、スティーヴ・マイナー。『13日の金曜日』(1~3) から『フォーエバー・ヤング』まで、脈絡があるようでないようなフィルモグラフィだが、『ガバリン』とか『ハロウィンH20』とか、やっぱり低予算ホラーのイメージが強い。個人的にはコメディ・タッチの大ワニ・ホラー『U.M.A レイク・プラシッド』が最高傑作かと。

p.s. 新ビバヒル『90210』のムカつく女ナオミこと、アナリン・マッコードが出演してるね。。。見たことある顔だなと思ったんだよね。

2010/08/22

インクハート 魔法の声(2009)

Inkheart (2009) ☆☆★ (@WOWOW録画)

ドイツのファンタジー小説を原作に、英国出身のイアン・ソフトリー監督、ブレンダン・フレイザー主演で制作された作品。話は聞いていたけど、日本では劇場未公開だったのね。ヘレン・ミレン、ジム・ブロードベンド、アンディー・サーキス、ポール・ベタニー、ちょこっとだけジェニファー・コネリーという、わりと豪華なキャスト。

これは、映像化が上手くいっているかどうかは別として、まず設定が面白い話(だから、未読なんだが原作はきっと面白いのだろう)。世の中には、朗読した言葉が現実のものになる不思議な力を持った人間がいて、主人公はその力を知らず知らずのうちに使ってしまったことから、ファンタジー小説の世界から現れた悪党たちと対決し、代わりに本の世界に囚われてしまった妻を救い出すために奮闘することになる。

本と言葉のもつ特別な力、というなかなか興味深いテーマを扱ったストーリーだが、誰もが楽しめる米国製娯楽映画ということで、少し子供っぽくなってしまったかもしれない。そもそも、文字とか言葉の力を語るのに、映像という媒体が合致していなかったのかもしれない。小説の中では想像力に富んだ面白いシーンも、映像にしたとたん間抜けに感じられたり、特別な魔法を失ってしまったりするものだ。映画の冒頭しばらくは、すごい拾い物を見ている気分だったが、イタリアに移動して悪党どもが登場してからはどんどんレベルが下がっていく感じでちょっと残念。

ブレンダン・フレイザーは昔から好きな俳優で、本作でも好印象。本の中の登場人物を演じているポール・ベタニーが相変わらず巧みで素晴らしい。

2010/08/17

パッセンジャーズ (2008)

☆☆☆(@WOWOW録画)

WOWOWの放送を録画して、ロドリゴ・ガルシア監督、アン・ハサウェイ主演の『パッセンジャーズ』を見た。劇場公開時には気がついたら終わっていて、見逃してしまっていた。最近、記憶力がとみに衰えてきて、ロドリゴ・ガルシアって誰だったのか記憶にない。調べたら、『彼女をみればわかること』を撮った人だったのな。Bunkamura ル・シネマで見たよ。ノーベル賞作家ガブリエル・ガルシア=マルケスの息子。男なんだけど、女性心理を描くのがうまい、というのか、ル・シネマでかかるような映画を撮る人、というイメージだったんだが、案外、そんなイメージは立った一本の映画で決まっているものだ。

『パッセンジャーズ』は、ソニーピクチャーズ傘下・トライスター名義のれっきとしたメジャー作品である。飛行機事故を生き残った乗客たちのメンタルなケアをまかされたカウンセラーとして主人公が登場し、グループセッションを行っていくうちに、事故の真相はエアラインの主張と異なるのではないかと疑義を抱くようになる。墜落の前に爆発を見たと話した乗客たちの姿がひとり、またひとりと消えていくのはエアラインの陰謀なのか、それとも?という話である。地味に展開する話しだが、アン・ハサウェイは相変わらずキュートだし、脇役のデイヴィッド・モースやダイアン・ウィースト、クレア・デュバル(をを、こんなところに)が、いかにもなタイプキャストながらいい味を出していて、初見であれば飽きずに見ていられる。

航空事故で失った息子が、そもそも存在しないことにされてしまうジュリアン・ムーア主演『フォーガットン(2004)』とか、航空機内で娘がいなくなり、そもそも乗ってなかったことにされてしまうジョディ・フォスター主演『フライト・プラン(2005)』とか、女優を主演に立てて、飛行機・航空機事故が関係してて、いるはずの人が消える・いないことにされ、これは陰謀か?となるミステリーっぽいシリーズ(笑)として、私の頭の中では同類の映画に分類されていた。いや、どれもぜんぜん違うストーリー展開なんだけど。

まあ、ぜんぜん違うとはいえ、『フォーガットン』のような愛すべきバカ展開を見ていると、本作も普通のミステリーではなかろうという先入観で見てしまうのである。いったいどういうオチかと思って、いろんなパターンを考えていたのだが、まあ、しかし、あれだ。映画の主眼は主人公の内面を描き出していくところにあるとしても、2段落ちというか、これをやってしまうと、それまでの展開はなんだったんだ、と思わないでもない。こっちに話しを持っていくなら、辻褄も伏線も何にも気にしなくていいわけで、ある種の夢落ちである。アン・ハサウェイの姉役の役者さんが、いかにも姉妹という佇まいがあって感心した。ラストシーンの余韻は好きだ。

2010/08/15

チャーリー・バートレットの男子トイレ相談室(2008)

Charlie Bartlett (2008) ☆☆☆★(@WOWOW録画)

WOWOWの放送を録画して、『チャーリーバットレットの男子トイレ相談室(2008)』 を見た。日本でも劇場公開されていたらしいのだが、渋谷のなんとかとか、シネパトスとか。うーん、いつのまにか、そういった場所、そういった規模でしか公開されない作品にはすっかり疎くなってしまった。昔は東銀座まで『ズーランダー』を追いかけていったりしたもんなんですが。

ジョン・ポール、などという、どっかの法王ですか?っていうような名前の監督が、『スター・トレック』の新チェコフであり『ターミネーター4』の若いカイル・リースであるところのアントン・イェルチン主演で撮った、一風変わったオリジナリティあふれるハイスクールもの、これがなかなか佳作。

お金持ちのお坊ちゃんである主人公チャーリー・バートレットは、周囲からの「人気」を得ることに至上の価値を見出している。偽造免許証作りで人気を集めるが、それで名門プレップスクールを放校処分になってしまう。転入した公立学校は、まるで彼に不釣合いな場所に見えたが、あるとき、自分に処方された抗精神薬でハイになったことから、抗精神薬の転売&悩みごと相談の真似事を始め、カリスマ的な人気を確立してしまう。校長の娘と仲良くなるところまでは良かったが、抗精神剤で自殺を図るクラスメイトが現れて問題化、さらに、学校内に設置された監視カメラに反発を強める生徒らの首謀格に祭り上げられて、ひと悶着が起こる。

人気を得るより大事なことがあるだろう、と問われ、具体的に何があるんだ?と問い返す主人公。(米国の)高校生活で、周囲の注目を集めることの切実的な価値は、周囲から阻害された孤独の中で自殺を図ろうとする生徒との対比でうまく描かれていて、ティーンの現実と誠実に向き合おうとするジョン・ヒューズ以来の良い伝統に則った作品になっている。そんな文脈で言えば、ある種の悪知恵で大人を出し抜き、小気味良く物事を運んでみんなの人気者というあたりは、『フェリスはある朝、突然に』の楽しさに通じている。アントン・イェルチンの童顔キャラは、やっぱりマシュー・ブロデリック風味だと思う。

しかし、この主人公はフェリスほどに徹底的に楽天的で陽性のキャラクターではない。父親不在、精神的におかしい母親という状況で、彼自身が背負い込んだ問題、生きる困難さを抱えている。また、この映画が描く「大人」は、「若者を理解できない大人という記号」ではない。本作で「大人」を代表するのはロバート・ダウニーJr.演ずる校長だが、ある意味、主人公と対等の人間として描かれ、主人公に大切な教訓を教えると同時に、醜態も晒す。このあたりの視点の置き方は、ウェス・アンダーソンの『天才マックスの世界』と響きあう。本作で、終盤に向けて「演劇」という要素を持ち込んできた脚本は、「マックス」を意識しているように思えるのだがどうだろう。

その、「演劇」というのが、劇中、問題視されたり、いや、高校生はこう言うのこそを見たいんだ、と主張したりするほどのものに見えないのがご愛嬌。ここできちんと盛り上げられたら、文句なく☆☆☆☆級だったんだけどな。

2010/07/28

インセプション

最後の最後、微妙なところで暗転して観客の想像力を刺激するセンスがいい。いや、すっきりしないから嫌だという人もいるんだろうけどさ。

娯楽大作の顔をしてはいるが、実態は全編やりたい放題やらかしたかなりの野心作で、サマー・ブロックバスターらしからぬ中身の濃さが見所。観客の何割かはついてこられずに脱落してしまうのでは?

他人の頭(夢)の中に侵入してアイディアを盗むプロフェッショナルたちが、それとは逆に、ターゲットとする人物にアイディアを植えつける難易度の高いミッションに挑む。それぞれ専門性の高いメンバーが、ミッション遂行のために自分の任務に邁進するという筋立ては、ちょっと「スパイ大作戦」的で面白い。こういう話は基本的に大好きだ。

レオナルド・ディカプリオ演じる主人公は、何の偶然だか彼の近作『シャッター・アイランド』と同様、妻や家族に対する罪悪感や深い喪失感を抱えた人物。彼の内面のドラマも心に触れるものがあるが、ディカプリオの演技が少し生真面目で、結局のところ毎回同じに見えてしまうのは欠点。ちなみに、彼のトレードマークは眉間のしわは12歳のときに出演した『クリッター3』からずっと同じだ(爆)

主たる舞台が「夢」の世界といっても、ターゲットとした相手をトラップにかけるために設計された多層構造の夢である。「夢の中の夢」では階層を重ねるごとに体感的な経過時間がどんどん長くなるという設定が実に面白い。この複雑なルールを映像にする力技が見所で、クライマックスに至っては時間の流れ方が異なる複数の階層での出来事をクロスカットで編集してみせるなどというトリッキーな演出が炸裂、まさにクリストファー・ノーランの面目躍如といったところ。ここのところは素直に面白かった。

山岳スキーアクションが露骨にボンド映画オマージュだなぁ、と思って見ていたら、本人がボンド映画をやりたいという思いを語っているようで。同じようにボンド映画をやりたいという思いが『インディアナ・ジョーンズ』になるのがルーカス&スピルバーグで、こういうクールだけど生真面目な映画になるのがノーランなんだぁ。

2010/07/17

トイ・ストーリー3

前作から10年を経て作られた、ピクサーの象徴たる『トイ・ストーリー』の続編である。絶対に外さないだろうとは思っているが、さりとてどんな作品になるのかと期待半分・不安半分で待っていたところ、作り手たちは、この10年という月日を、そのまま物語に織り込み、3本をまとめ、ひとつの大きな物語として完結させることを選択したのだった。続編ではなく、大きな物語の終章。

主人公たちの持ち主であるアンディ少年も成長し、大学に通うために家を出るというのが今作の発端である。そして、『2』のときに語られた「玩具と持ち主の関係」、「玩具としての幸せは何か」というテーマを、もう一歩、深くつきつめていく。

・・・まあ、そういう意味で言えば、テーマ的には前作で一度扱ったものの焼き直しである。が、前作で、いつか必ずくるであろう「別れのとき」を覚悟しながら、いったんは持ち主の元に帰ることを選んだ主人公、ウッディが、いよいよ「その時」を迎える話しである、と思うと感慨も深い。

センチメンタルに流れがちな設定だが、そこはピクサー、脱獄ものの要素を取り込んだアクション・アドベンチャーとしてストーリーを練り上げてきた。大技小技から爆笑必至のギャグに至るまで、実によくできていると思う。しかし、その一方、致し方ないことと承知しつつも、「悪役」を必要とする物語の構造は安易だとも思う。まあ、悪役の描き方も前作以上に深みがあって、そういうところに手抜かりがないのもまた、ピクサーの仕事ではある。

一番大きく進化したのは人間のキャラクターの表現。キャラクターのデザインも(1作目、2作目に比べて)可愛くて親しみやすいものへと変わっているのだが、それ以上に、見せ方、演出のレベルが格段に高くなった。本作の肝でもある「別れ」のシーン、まさか、『トイ・ストーリー』なのに、人間キャラクターの「芝居」で泣かされるとは思いもよらなかった。

2010/03/17

Star Trek: Spock Reflections

先に紹介した『Countdown』や『NERO』と同じ IDW から出版されている近刊 『Spock Reflections』を買ってみた。表紙絵の幼いスポックの顔はJ.J.エイブラムズ版 『Star Trek』の役者に似ているので、これも映画を補完する作品、もしくはそのスピンオフ的な作品かと思っていたのだが、そうではなかった。まあ、「Unification Part-I, II 」以降、「Countdown」 の前、という意味では、正史で描かれていない空白(の一部)を埋めるものではある。

舞台は、24世紀、従来のタイムライン上の世界である。スポックは中立地帯を航行する民間宇宙船に搭乗していた。ロミュランを発ち、リスクを犯してどこかに向かおうとしている。タイトル通り、そんなスポックの回想として少年期、クリストファー・パイク指揮下のエンタープライズ、カーク指揮下のエンター・プライズ、V’Ger事件前後のことなどの小さなエピソードが次々と語られていく。スポックの目的は何か?なぜそのような行動をとるのか?

・・・といった構成で、実はこれが時間軸でいうと映画 『Star Trek: Generations』の直後だということが明かされる。

ロミュランで地下活動をしていたスポックの手元に、ピカードが送ったメッセージが届く。そこでは、『Star Trek: Generations』での出来事が、ジェームズ.T.カークが、「ネクサス」のなかで生きていたこと、ソランの野望を阻止する過程で生命を落としたこと、説明が困難なためこの件は公には明かされていないことが語られていた。スポックはカークが埋葬されたヴェリディアIII に向かい、旧友の亡骸を彼の故郷、アイオワに戻そうとしていたのである。

まあ、ピカードがカークの亡骸をヴェリディアIII に残してきたことをよしとしない立場でこのエピソードが描かれているのであろう。いうまでもなく、ウィリアム・シャトナー作で翻訳もされたいわゆる"Shatnerverse"ものとは整合がない。あの世界では、ヴェリディアIII からロミュランが盗んだカークの亡骸がBorg テクノロジーによって「復活」するんだからね、、、

さて、本作に話しを戻すと、正直にいって、あんまり面白いストーリーではない。しかし、危険を犯してまでカークを故郷に返そうとする現在進行形でのスポックの旅が、回想のつなぎにしかなっていないからである。途中で何も事件が起こることもなく、ここにストーリーらしきストーリーもドラマも何もない。「リスクを犯してまで」といっていても、設定だけ、言葉だけのことだ。

では、回想部分で語られるエピソードが面白いか、というと、これがファンサービス的なところはあっても、些細なものばかり。スポックがヴァルカン人らしくあろうとしても、そこでは得られない何かを求めて艦隊に入り、時にロジックより優先すべきもののためにリスクをとって行動する地球人の判断を間近にみてきた、ということを示唆しようとしているのだが、それ以上のものではない。

本作の最後で、スポックは再び「リスク」を犯してロミュランに戻り、地下活動として若い世代の教育を続けていくことが描かれている。

「Unification Part-I, II 」でロミュランに残って以降のスポックの活動は映像化作品で語られる機会がなく、『Star Trek: Nemesis』のイベントのさなか彼がどうしていたのかも謎のままであった。そして、『Countdown』の冒頭、Nemesis 後のロミュランで、彼がもはや公に姿を現して活動ができる立場に成っていることが描かれているが、どのようなプロセスを経て、そうなったのかは語られていない。本作においても、結局のところそのあたりは語られずじまいである。もしこの先があるのなら、ロミュランに戻ったスポックの活動が描かれるのであれば、面白いとは思うが、本作単独であればあまり価値のない話しだなぁ、というのが正直な感想である。

2010/03/16

Star Trek: NERO

2007年からスター・トレックのコミックを出しているのが IDW Publishing という会社で、J.J.エイブラムズの映画『スター・トレック』につながる前章として発表された『Star Trek: Countdown』もここから出版されたものである。

その IDW から出版されているコミック、『Star Trek: NERO』は、『Countdown』 と同様、J.J.版の脚本家であるロベルトオーチ&アレックス・カーツマンの原案に基づいて描かれたもので、タイトルの"NERO" はもちろん、映画版でエリック・バナが演じた悪役、ネロのことである。

この作品は、映画版では描かれなかった、U.S.S.ケルヴィンとの遭遇からヴァルカンへの攻撃までの空白の25年間に何が起こったか、をテーマにしており、本編を補完するバックストーリーという位置づけになる。映画の予告編で一瞬登場したが本編からはカットされた「クリンゴン」が登場するシーンの説明にもなっているし、ネロの片方の耳が傷ついていた説明にもなっている。

物語は映画の中で描かれた、U.S.S.ケルヴィンの捨て身の攻撃の直後に幕を開ける。自分たちが過去に飛ばされた事実を理解した一行。この時間軸ではまだロミュランも健在だ。しかしネロはヴァルカンと連邦を葬り去ることでしか未来のロミュランを救うことは出きないと主張、クルーに行動を共にするよう迫る。そこに現れたのはクリンゴンの大艦隊。さすがのナラダも先の戦闘で大きく傷ついており、まだ復旧が完了していない。転送で乗り込んできたクリンゴンとの白兵戦に敗れた一行は、捕虜として流刑地ルラペンテ送りになる。

・・・そんなわけで、空白の25年は、一言でいえば、クリンゴンの流刑地として『スター・トレック VI 未知の世界』に登場したルラペンテで強制労働させられていたんですよ、っていうことだ。25年の時が過ぎ、ナラダを奪還して脱走し、未来から現れたスポック(prime)を捕らえてデルタヴェガに置き去りにし、手に入れたRed Matterと共にヴァルカンに向かうというところで本作は幕を閉じる。あとは映画のほうで描かれたとおり。

まあ、「クリンゴンに捕らえられていた」というのはよいのだけれど、クリンゴンが拿捕したナラダをルラペンテまで牽引して運び、衛星軌道上で研究していたというくだりが超絶的な無理のあるご都合主義。

・・・だったら25年間、流浪しながらスポックの到着を待ちわびていたという方が説得力があるよね。

真ん中にクリンゴン絡みのエピソードをはさもうとし、ネロというキャラクターに壮絶なドラマを背負わせようとした結果、こういうことになる。まあ、映画でこのパートを丸ごと割愛したのは正しい判断といえるだろう。

Borg の由来の技術により自己修復していたナラダが25年たって「目覚める」きっかけと、スポック(prime)がいつ、どこに現れるかをネロが知るためのギミックとして、シリーズのファンならおなじみの「あるもの」が登場する。 Borg 文明との関連を噂される、セクター001(地球)を目指して航行中の例のやつ、だ。このくだりは、ファンサービス的な意味で少し面白い。

あと、デルタヴェガという星が、ある種、特殊な軌道を巡っている惑星であり、それでヴァルカンの崩壊を見物するのに丁度よい、という説明がなされている。(ここから推測されるに、デルタヴェガはヴァルカンと同じ星系に属しながらも、長大な楕円軌道を持った惑星と考えられるが)、それがなぜ、食料補給もままならないような辺境の地であるのか、依然として説明がつかない。惑星連邦の創設メンバーでもあるヴァルカンの、そのすぐそばに位置する「近場の星」であることには違いがあるまい?

作品全体としてみると、ここには特筆するようなドラマもストーリーも何もないという点で面白くもなんともない。脚本段階で存在したけれど本編からはカットされた一連のエピソードと背景設定を説明しているだけで、そもそも独立したストーリーですらないのだから、それはまあ当たり前ではある。アートワークはCountdown と同様に力が入っていて、なかなかよい。

2010/03/13

『パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々』

ゲームのような構成の映画。まあ、それ以上でもそれ以下でもなく、語ることも何にもない。金のかかった大作なのに安っぽくて、「退屈な子供向けハリウッド映画」の見本のような作品である。原作は5部作だというが、続編企画がなくなっても驚かないし嘆きもしない。

まず、イントロで物語の説明が行われる。いわく、主人公はポセイドンの血を引くデミゴッドであり、ゼウスの雷撃を盗んだ嫌疑をかけられている、と。雷撃を欲するハデスにさらわれた母親を救い出し、ゼウスの疑いを晴らさなくてはならない、と。次は、チュートリアルが待っている。神の落とし子たちを集めたキャンプをステージに、ミノタウロスとの戦いやフィールドでの訓練で基本的な戦い方を教わるのだ。今後必要となる武器・アイテム・仲間を受領したら次に進もう。

キャンプをでたら、マップを手がかりにお宝を集めるクエストが始まる。アメリカを横断しながらステージを移動し、メデューサ、ヒドラと強力な中ボスを倒すごとに特殊な「真珠」をゲットしていく。ドラッグの迷宮を越え、3つ目の真珠を手に入れたら、冥界ステージへ移動だ。冥界でハデスと戦って母親を救出すれば、いよいよ最終ステージ。ここまできたらあとは簡単。幾分弱めの「雷撃泥棒」を倒してやると、オリンポスへの扉が開き、あとは勝手にムービーが流れてゲーム終了・・・って、そんな感じ。

クリス・コロンバスは「ハリー・ポッター」1作・2作の監督で、本作を手がける20世紀FOXとも懇意。そんな流れで本作の指揮を任じられたのは想像に難くないが、この人、もともと規模の小さいコメディ作品で良さが出るタイプである。監督デビュー作、『ベビーシッター・アドベンチャー』は楽しかったな。

2010/03/09

第82回アカデミー賞の雑感

第82回アカデミー賞にはあまりサプライズがなかった。波乱があったのは脚色賞と外国語映画賞。割をくったのは脚色賞を取り損ねて結局無冠に終わった『マイレージ、マイライフ(Up in the Air)』か。あと、技術部門はもう少し『アバター』が持って行っても良かったが、音響編集(sound editing) と録音(sound mixing)を『ハートロッカー』に奪われて、存在感が薄くなった。

女性監督としては初の受賞になったキャスリン・ビグロウ。昔から女性なのに男勝りな映画をつくると評判だった。彼女の作品はどれも荒削りでバランスが悪く、作品の完成度という観点でいえば、いまひとつというのが常だった。今回は題材がはまったというのもあるだろう。

今年のショウはアダム・シャンクマン演出(プロデュース)で、司会はたらい回しの挙句にスティーヴ・マーティン&アレック・ボールドウィンに落ち着いた。僕は昔からスティーヴ・マーティンが好きなのでこれはこれで楽しめたけれど、アダム・シャンクマンの演出が平板で不発。作品賞10本ノミネートで紹介に時間をとられるせいか、いつにも増して余裕のない進行だった。

昨夏に死去したジョン・ヒューズへのトリビュートがあったことは嬉しかった。監督作も多くはないし、ファミリー向け作品のプロデュースに専念するようになってからは退屈ですらあった。でも80年代に彼が残した数々の青春映画は、「ハイスクールもの」というジャンルを永久に変えてしまうだけのインパクトと影響力があった。そして、彼の作品を見て育った世代が現役として活躍している。今回の企画は、彼の作品がみなに愛されていることを再確認できて有意義だったと思う。

2010/03/06

『プリンセスと魔法のキス』

2004年のウェスタン・ミュージカル・コメディ『Home on the Range(ホーム・オン・ザ・レンジ にぎやか牧場を救え!)』を最後に伝統的な手描きアニメから撤退してスタジオを閉鎖したディズニーが、久々に復活させた手書き(2D)アニメーション。

アフリカ系の「プリンセス」の登場や、受身ではなく、自ら努力して幸せをつかもうとする主人公像も現代的なのだが、あまり日本のメディアが触れないポイントがある。それは、この映画が1920年代のニューオリンズを舞台に展開されるご機嫌なジャズ・ミュージカルであるということだ!

ご存知のとおり、ニューオリンズという街がハリケーン・カトリーナによって壊滅的打撃をうけたのが2005年のことだ。本作の企画にそれが影響を与えていないわけがない。ニューオリンズと、その土地が生み出した文化に対するトリビュートなのである。なにせ音楽を担当するランディ・ニューマンもニューオリンズ出身で、ジャズにも造詣が深い作曲家なのだ。当初予定されていたアラン・メンケンからの交代は、その意味で絶対的に正しい判断だといえる。

また、ディズニーのプリンセスものといえば欧州などの借り物が常だったところ、米国を舞台に、米国の文化を背景にしている点でも画期的であろう。字幕版は上映回数や場所が限られるが、ミュージカルであるという作品の性格上、大人の観客にはぜひともこちらをお勧めする。