2010/08/29

結婚の条件(1988)

She’s Having a Baby (1988) ☆☆☆ (@WOWOW録画)

2009年8月、だから、ジョン・ヒューズが亡くなったのはちょうど一年前である。しばらく前にWOWOWでジョン・ヒューズ特集があって、代表作6本(監督作4本、プロデュース作品2本)が放送された。

そのラインナップは、『すてきな片思い(1984)』、『ブレックファスト・クラブ(1985)』、『プリティイン・ピンク (1986/製作)』、『フェリスはある朝突然に (1986)』、『恋しくて(1987/製作)』、『結婚の条件(1988)』 である。

監督作でもドタバタ系の『ときめきサイエンス(1985)』や、コメディ『大災難P.T.A.(1987)』、ファミリー・コメディの『おじさんに気をつけろ!(1989)』、『カーリー・スー(1991)』は外れ、製作作品では『ホーム・アローン(1990/製作)』以降のファミリーコメディ路線が全部外れている。

まあ、ハイ・スクールものを再定義したジョン・ヒューズという観点でいえば、妥当なセレクションである。というより、1984~1987の短期間に、その路線の代表作が集中している密度にびっくりである。

『結婚の条件』 She’s Having a Baby は、厳密に言えばハイスクールものではない。(しかも興行的失敗作である)。

ただ、16歳で出あったカップルが若くして結婚し、結婚生活を成立させ、子供ができるまでの物語であり、ハイスクールもののカップルの「その後」を描いた物語、と読める。また、これはジョン・ヒューズ自身の結婚と結婚生活に多く類似点をもったパーソナルな作品である。これ以降、ジョン・ヒューズはいわゆる「青春もの」から離れ、ファミリー向け映画のプロデューサーとして活躍する。その区切りとなった作品である。

他の作品はDVDを持っているのだが、これは久しぶりに見た。

まあ、公開されたころには結婚生活なんてイメージできる年齢ではなかったのであんまり心に残らなかったのだが、夫としての家族に対する責任を次第に自覚しながら、しかし、一方でまだ若く、夢を捨てられない主人公の、平凡な日常や人間関係に埋没していく不安や焦りが、ヒューズらしく、誠実に描かれた良い作品だと思えた。すごく地味なんだけどさ。

ケヴィン・ベーコンが若い。親友役のアレック・ボールドウィンも若いし痩せてて格好イイ!

エンド・クレジットで男の子に付ける名前をアドバイスする面々が豪華(別のジョン・ヒューズ映画からのテイクや、パラマウントで撮影中だった Cheers, Startrek :TNG 出演者のショットらしい)。IMDB(US)にはリストが出ているが、ダン・エイクロイド、ビル・マーレイ、ジョン・キャンディ、テッド・ダンソン、カースティ・アレイ、ウィル・ウィートン、ウッディ・ハレルソン、マイケル・キートン、アリー・シーディ、アニー・ポッツ、ペニー・マーシャルのほか、マジック・ジョンソンやらオリビア・ニュートンジョンやら、音楽界の面々やら、まあ、出るわ出るわ。あーびっくりした。

2010/08/28

ブライダル・ウォーズ (2009)

Bride Wars (2009) ☆☆ (@WOWOW録画)

アン・ハサウェイとケイト・ハドソンが共演するコメディ。これ、未公開だったのね。原題 ”Bride Wars” なんで、”ブライダル” になっちゃうんだろうね。

小さいときから「プラザ」での結婚式を夢見てきた2人の親友が、手違いから同じ日にブッキングされてしまったことで関係がこじれ、互いの邪魔をしあうライバルに。際限なくブラックな意地悪合戦が続く中、2人は無事に結婚式を迎えることができるのか、関係を修復することができるのか、というお話し。

なんだかよくわかんないんですが。ひとつしかない予約スポットをめぐって2人が争う、というのならわかる。が、2人は同じ日の同じ時間に重なってしまったとはいえ、「6月某日のプラザ」を予約できたわけで、何を争わなくちゃならんのか、ということである。

互いが互いのメイド・オブ・オナーを務められない、とか、招待客に共通の友人が多いとかいうのは、まあわかる。しかし、ブライド・メイトを務めてあげたい(もらいたい)相手と、ここまで泥沼のケンカをするかどうか。ドタバタものとはいえ、日サロで焦がすとか、ブロンドを青く染めて髪の毛抜けちゃうとか、ちょっとえげつなさ過ぎて笑えない。互いを思えば、Wウェディング一択だろー、と思うわけだが、結婚式くらいはバラバラでやりたい、と、設定を成立させるための「台詞」で即刻否定されるのだ。

アン・ハサウェイもケイト・ハドソンも好きなのでとりあえず見ていられるけれど、この映画、2人が親友という設定が失敗だと思う。

例えばさ、「知り合いではないが実は似たもの同士の2人が、ひとつしかない予約スポットを巡って争うが、その過程で親友になってWウェディング・ゴールイン!」とかいうのがオーソドックスなんじゃないのかね。あるいは、ちょっとひねって「実は2人が親友どころが互いに恋愛感情を持っていて、ケンカの理由は相手が男と結婚すること自体が許せないという深層心理の発露で、最後は婚約者を捨てて女同士でゴールイン!」とかね。

まあ、おんなじネタでももっと面白くなりそうな脚本家組合ストライキ直前に滑り込みで完成された脚本だけに、練りこみが足りなかったとしかいいようがない。残念。ゲイリー・ウィニック監督。20世紀FOXがインド市場向けヒンディー語リメイクを製作中とか。←それ、見てみたいような気がする。唄ったり、踊ったりするんだよね???

2010/08/27

デイ・オブ・ザ・デッド(2008)

Day of the Dead (2008) ☆★ (@WOWOW録画)

ロメロが予算的な理由で断念した『死霊のえじき』当初構想を参考にして製作、って、そういうの「リメイク」とはいいませんからっ!

故郷の町を軍事的に封鎖する作戦に加わったミーナ・スヴァリとその弟がゾンビ禍のなか、サバイバルする話である。

軍隊が出てくること、ある程度いうことをきく手なづけられたゾンビが登場すること、「Day of the Dead」 のタイトル(原題)が原典との共通点。それ以外は別物。だいたい、ゾンビが違う。死者が蘇ったんじゃなくて、ウィルス感染して変貌した人間。(←それって『ゾンビランド』。)そうなると、タイトルでも嘘をついていることになる。

監督はあいつ、スティーヴ・マイナー。『13日の金曜日』(1~3) から『フォーエバー・ヤング』まで、脈絡があるようでないようなフィルモグラフィだが、『ガバリン』とか『ハロウィンH20』とか、やっぱり低予算ホラーのイメージが強い。個人的にはコメディ・タッチの大ワニ・ホラー『U.M.A レイク・プラシッド』が最高傑作かと。

p.s. 新ビバヒル『90210』のムカつく女ナオミこと、アナリン・マッコードが出演してるね。。。見たことある顔だなと思ったんだよね。

2010/08/22

インクハート 魔法の声(2009)

Inkheart (2009) ☆☆★ (@WOWOW録画)

ドイツのファンタジー小説を原作に、英国出身のイアン・ソフトリー監督、ブレンダン・フレイザー主演で制作された作品。話は聞いていたけど、日本では劇場未公開だったのね。ヘレン・ミレン、ジム・ブロードベンド、アンディー・サーキス、ポール・ベタニー、ちょこっとだけジェニファー・コネリーという、わりと豪華なキャスト。

これは、映像化が上手くいっているかどうかは別として、まず設定が面白い話(だから、未読なんだが原作はきっと面白いのだろう)。世の中には、朗読した言葉が現実のものになる不思議な力を持った人間がいて、主人公はその力を知らず知らずのうちに使ってしまったことから、ファンタジー小説の世界から現れた悪党たちと対決し、代わりに本の世界に囚われてしまった妻を救い出すために奮闘することになる。

本と言葉のもつ特別な力、というなかなか興味深いテーマを扱ったストーリーだが、誰もが楽しめる米国製娯楽映画ということで、少し子供っぽくなってしまったかもしれない。そもそも、文字とか言葉の力を語るのに、映像という媒体が合致していなかったのかもしれない。小説の中では想像力に富んだ面白いシーンも、映像にしたとたん間抜けに感じられたり、特別な魔法を失ってしまったりするものだ。映画の冒頭しばらくは、すごい拾い物を見ている気分だったが、イタリアに移動して悪党どもが登場してからはどんどんレベルが下がっていく感じでちょっと残念。

ブレンダン・フレイザーは昔から好きな俳優で、本作でも好印象。本の中の登場人物を演じているポール・ベタニーが相変わらず巧みで素晴らしい。

2010/08/17

パッセンジャーズ (2008)

☆☆☆(@WOWOW録画)

WOWOWの放送を録画して、ロドリゴ・ガルシア監督、アン・ハサウェイ主演の『パッセンジャーズ』を見た。劇場公開時には気がついたら終わっていて、見逃してしまっていた。最近、記憶力がとみに衰えてきて、ロドリゴ・ガルシアって誰だったのか記憶にない。調べたら、『彼女をみればわかること』を撮った人だったのな。Bunkamura ル・シネマで見たよ。ノーベル賞作家ガブリエル・ガルシア=マルケスの息子。男なんだけど、女性心理を描くのがうまい、というのか、ル・シネマでかかるような映画を撮る人、というイメージだったんだが、案外、そんなイメージは立った一本の映画で決まっているものだ。

『パッセンジャーズ』は、ソニーピクチャーズ傘下・トライスター名義のれっきとしたメジャー作品である。飛行機事故を生き残った乗客たちのメンタルなケアをまかされたカウンセラーとして主人公が登場し、グループセッションを行っていくうちに、事故の真相はエアラインの主張と異なるのではないかと疑義を抱くようになる。墜落の前に爆発を見たと話した乗客たちの姿がひとり、またひとりと消えていくのはエアラインの陰謀なのか、それとも?という話である。地味に展開する話しだが、アン・ハサウェイは相変わらずキュートだし、脇役のデイヴィッド・モースやダイアン・ウィースト、クレア・デュバル(をを、こんなところに)が、いかにもなタイプキャストながらいい味を出していて、初見であれば飽きずに見ていられる。

航空事故で失った息子が、そもそも存在しないことにされてしまうジュリアン・ムーア主演『フォーガットン(2004)』とか、航空機内で娘がいなくなり、そもそも乗ってなかったことにされてしまうジョディ・フォスター主演『フライト・プラン(2005)』とか、女優を主演に立てて、飛行機・航空機事故が関係してて、いるはずの人が消える・いないことにされ、これは陰謀か?となるミステリーっぽいシリーズ(笑)として、私の頭の中では同類の映画に分類されていた。いや、どれもぜんぜん違うストーリー展開なんだけど。

まあ、ぜんぜん違うとはいえ、『フォーガットン』のような愛すべきバカ展開を見ていると、本作も普通のミステリーではなかろうという先入観で見てしまうのである。いったいどういうオチかと思って、いろんなパターンを考えていたのだが、まあ、しかし、あれだ。映画の主眼は主人公の内面を描き出していくところにあるとしても、2段落ちというか、これをやってしまうと、それまでの展開はなんだったんだ、と思わないでもない。こっちに話しを持っていくなら、辻褄も伏線も何にも気にしなくていいわけで、ある種の夢落ちである。アン・ハサウェイの姉役の役者さんが、いかにも姉妹という佇まいがあって感心した。ラストシーンの余韻は好きだ。

2010/08/15

チャーリー・バートレットの男子トイレ相談室(2008)

Charlie Bartlett (2008) ☆☆☆★(@WOWOW録画)

WOWOWの放送を録画して、『チャーリーバットレットの男子トイレ相談室(2008)』 を見た。日本でも劇場公開されていたらしいのだが、渋谷のなんとかとか、シネパトスとか。うーん、いつのまにか、そういった場所、そういった規模でしか公開されない作品にはすっかり疎くなってしまった。昔は東銀座まで『ズーランダー』を追いかけていったりしたもんなんですが。

ジョン・ポール、などという、どっかの法王ですか?っていうような名前の監督が、『スター・トレック』の新チェコフであり『ターミネーター4』の若いカイル・リースであるところのアントン・イェルチン主演で撮った、一風変わったオリジナリティあふれるハイスクールもの、これがなかなか佳作。

お金持ちのお坊ちゃんである主人公チャーリー・バートレットは、周囲からの「人気」を得ることに至上の価値を見出している。偽造免許証作りで人気を集めるが、それで名門プレップスクールを放校処分になってしまう。転入した公立学校は、まるで彼に不釣合いな場所に見えたが、あるとき、自分に処方された抗精神薬でハイになったことから、抗精神薬の転売&悩みごと相談の真似事を始め、カリスマ的な人気を確立してしまう。校長の娘と仲良くなるところまでは良かったが、抗精神剤で自殺を図るクラスメイトが現れて問題化、さらに、学校内に設置された監視カメラに反発を強める生徒らの首謀格に祭り上げられて、ひと悶着が起こる。

人気を得るより大事なことがあるだろう、と問われ、具体的に何があるんだ?と問い返す主人公。(米国の)高校生活で、周囲の注目を集めることの切実的な価値は、周囲から阻害された孤独の中で自殺を図ろうとする生徒との対比でうまく描かれていて、ティーンの現実と誠実に向き合おうとするジョン・ヒューズ以来の良い伝統に則った作品になっている。そんな文脈で言えば、ある種の悪知恵で大人を出し抜き、小気味良く物事を運んでみんなの人気者というあたりは、『フェリスはある朝、突然に』の楽しさに通じている。アントン・イェルチンの童顔キャラは、やっぱりマシュー・ブロデリック風味だと思う。

しかし、この主人公はフェリスほどに徹底的に楽天的で陽性のキャラクターではない。父親不在、精神的におかしい母親という状況で、彼自身が背負い込んだ問題、生きる困難さを抱えている。また、この映画が描く「大人」は、「若者を理解できない大人という記号」ではない。本作で「大人」を代表するのはロバート・ダウニーJr.演ずる校長だが、ある意味、主人公と対等の人間として描かれ、主人公に大切な教訓を教えると同時に、醜態も晒す。このあたりの視点の置き方は、ウェス・アンダーソンの『天才マックスの世界』と響きあう。本作で、終盤に向けて「演劇」という要素を持ち込んできた脚本は、「マックス」を意識しているように思えるのだがどうだろう。

その、「演劇」というのが、劇中、問題視されたり、いや、高校生はこう言うのこそを見たいんだ、と主張したりするほどのものに見えないのがご愛嬌。ここできちんと盛り上げられたら、文句なく☆☆☆☆級だったんだけどな。