2009/06/19

Star Trek (2009) への不満 (1)

J.J.エイブラムズによる新しい『スター・トレック』、大方の映画館では7/3までの公開になっている。ファンとして、次以降の日本での扱いが急に冷たくなったいすると悲しいので、2度目の鑑賞をしてきた。

ヴァルカン宙域で「R2ユニット」のようなものが舞っているという話については確信を持って特定できなかったが、「デルタ・ヴェガ」の連邦アウトポストで、例の毛むくじゃらの小さなやつ(トリブル)が飼われていることは確認。これ、次回作への伏線だったら嬉しいんだけどな。戦闘とアクションばっかりの殺伐したシリーズにしてほしくないものね。

改めて、長いあいだSTにつきあってきた立場からこの映画について思うことは、3点。娯楽アクションものとしては活気もあって良く出来ている、という前提で(だからこそ余計に腹立たしいのだが)、

(1) 結局のところわかりやすい「敵」をつくって派手にドンパチをやるようなプロット(しかも「カーンの逆襲」の何度目かの焼き直し)でしか映画を作れないという点が幼稚。

(2) 敵の強さ・残忍さを強調するため(だけ)に、連邦創設メンバーで、文化的・科学的に大きく貢献する(はずの)ヴァルカンを惑星ごと吹き飛ばすという暴挙を平気でやってのける乱暴なアイディアに愕然。

(3) クライマックス、カークが敵に通信を入れる際の態度が「俺たちは一応救おうとしたんだし、悪くないよ」という言い訳にすぎず、結局なんのためらいもなく攻撃する「演出」に怒り。

(1) については次回以降に期待、(2)も今後、ドラマ面で活かすとか、もしかしたら思わぬ荒業で「なかったこと」にすることも不可能ではあるまい。そんな意味で、許容できないとはいわない。

が、(3)だけは、本質的な部分で作り手が何かを勘違いしているとしか思えない。

このシリーズ的には「対話と相互理解」を旨とし、最後まで諦めるべきではなく、極悪人であろうとも敢えて転送で強引に救い出すのが正しい展開ではないのか。このほうがすっきりして観客にウけるというなら、それは作り手が易きに流れたということ以外の何者でもない。

同じ脚本でも、演出ひとつでニュアンスが変わったはずである。あそこはスタートレックを理解していないJ.J.エイブラムズの思想と演出が作品世界が長いあいだかけて試行錯誤の中から確立してきた思想を否定した瞬間である。だから、絶対に許さない。(続く)

1 件のコメント:

  1. 澤井 隆 様
     昨日、貴ブログに感激し、思わずコメントを投稿させ
    てもらいましたがうっかりお名前が出ていることに気付
    かずtakstyle様と表記してしまいました。またエンター
    プライズについて黄金比と表記すべきところをこれも
    うっかり黄金律としてしまいました。お詫びして訂正
    いたします。
                                

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