2011/06/30

爆音映画祭で『インランド・エンパイア(2006)』を観てきたよ!


吉祥寺バウスシアターで開催中の第四回爆音映画祭で上映された『インランド・エンパイア』をみた。水曜日の夜20:30位からの上映で、たまたま早めに抜けられたのを幸い、これは見るしかないと、吉祥寺に駆けつけたのが18:30。当日券購入で、入場整理券番号115。よっしゃー。

軽い食事を済ませて20:00過ぎに再度劇場にいくと、入り口のテラスに集まった客層が、なんか、想像よりも若いんだよね。まあ、平日夜に3時間の映画を「爆音」で見るためにお祭り騒ぎ的に集まれる時点でそういう客層になるのかもしれない。でも、カップルでリンチとか大丈夫なのか?ふたりともマニアなのか?

『インランド・エンパイア』は劇場公開時に予定が合わず見損なっていたので、これが初見。これはTV画面で見るもんじゃないだろ、と思っていたからなんだが、実際に見てその思いを強くした。『ロスト・ハイウェイ』や『マルホランド・ドライブ』が「実に分かりやすいシンプルな映画」だと思えてくるほど複雑怪奇の意味不明さが3時間続く映画を居間のTVで見てたら、拷問という以前に、まず集中力が持たないよ。

もっといえば、この映画、爆音上映で最適解なんじゃないのか。というか、全てのリンチ映画はいわゆる「爆音」上映が正解なのではないか、と思う。独特のリンチワールドの構成要素としての音、ノイズ、音楽が、映像と対等に存在を主張し始めると、そこに、なにか違った空間が立ち現れてくるように思うのだ。

『インランド・エンパイア』もそう。上映時間のかなりのポーションで、低音やノイズがビリビリと鳴り続けているのですね。爆音と言っても耳が悪くなるような不快な音ではなく、音の振動や音圧を体感する感じだったので、まさに映画の世界を体験するのにはうってつけ。監督本人に見せても、これが本来あるべき上映だと言ってもらえるんじゃないかと思えるほどだ。

まあ、爆音の副産物として、ちょっと音割れとかもあったんだけど、これ、ソースの問題だよね、多分?

映画そのものについて。2007年度全米批評家協会賞 実験的映画賞受賞、という本編前のテロップがツボ。実験的映画賞、だってさ。

お話しは、ある映画のリメイクに主演する女優の、映画の中での話と、私生活における話、それに、リメイクのもととなった映画の中の話と、それに主演した(死んだ)女優の現実の話が、死んだ女優がTV画面を通じてリメイクの女優を見ているという行為と、赤い部屋・ブルーボックス相当の役割を担っていると思しきウサギ人間の部屋を結節点にしてつながっている感じの構造になっていて、それが明確に説明されないまま並行して進んでいく、みたいな。

観終わった直後の頭の中で再構成すると、多分、『ツイン・ピークス』以来のリンチ的世界観の最新解釈で描かれる、「ある女優」の悲劇と救済、みたいな?

あー複雑怪奇。もう1~2度、確認を兼ねてみると腑に落ちそうな気がするのだが、一度じゃ無理だ。

この映画、SDのデジタルビデオで撮影されたと聞くのだが、解像度は悪いし、色や階調も綺麗に出ていない。映像的な美しさや深さ、艶めかしさを求めると不満が残るのだが、作品としては、そんな画質も含めて力技で成立しているところがある。このいかがわしさ、うさんくささは、この低画質な映像に依る部分も大きいような気がする。

それにしても下手なホラー映画より薄気味悪く不安になる空気を映像にできる才能はすごい。が、やっぱりこの映画ちょっと長すぎだよな。30分くらい、無理やり削ってやりたい衝動に駆られるんだけど、それは内緒だ。

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