2010/03/16

Star Trek: NERO

2007年からスター・トレックのコミックを出しているのが IDW Publishing という会社で、J.J.エイブラムズの映画『スター・トレック』につながる前章として発表された『Star Trek: Countdown』もここから出版されたものである。

その IDW から出版されているコミック、『Star Trek: NERO』は、『Countdown』 と同様、J.J.版の脚本家であるロベルトオーチ&アレックス・カーツマンの原案に基づいて描かれたもので、タイトルの"NERO" はもちろん、映画版でエリック・バナが演じた悪役、ネロのことである。

この作品は、映画版では描かれなかった、U.S.S.ケルヴィンとの遭遇からヴァルカンへの攻撃までの空白の25年間に何が起こったか、をテーマにしており、本編を補完するバックストーリーという位置づけになる。映画の予告編で一瞬登場したが本編からはカットされた「クリンゴン」が登場するシーンの説明にもなっているし、ネロの片方の耳が傷ついていた説明にもなっている。

物語は映画の中で描かれた、U.S.S.ケルヴィンの捨て身の攻撃の直後に幕を開ける。自分たちが過去に飛ばされた事実を理解した一行。この時間軸ではまだロミュランも健在だ。しかしネロはヴァルカンと連邦を葬り去ることでしか未来のロミュランを救うことは出きないと主張、クルーに行動を共にするよう迫る。そこに現れたのはクリンゴンの大艦隊。さすがのナラダも先の戦闘で大きく傷ついており、まだ復旧が完了していない。転送で乗り込んできたクリンゴンとの白兵戦に敗れた一行は、捕虜として流刑地ルラペンテ送りになる。

・・・そんなわけで、空白の25年は、一言でいえば、クリンゴンの流刑地として『スター・トレック VI 未知の世界』に登場したルラペンテで強制労働させられていたんですよ、っていうことだ。25年の時が過ぎ、ナラダを奪還して脱走し、未来から現れたスポック(prime)を捕らえてデルタヴェガに置き去りにし、手に入れたRed Matterと共にヴァルカンに向かうというところで本作は幕を閉じる。あとは映画のほうで描かれたとおり。

まあ、「クリンゴンに捕らえられていた」というのはよいのだけれど、クリンゴンが拿捕したナラダをルラペンテまで牽引して運び、衛星軌道上で研究していたというくだりが超絶的な無理のあるご都合主義。

・・・だったら25年間、流浪しながらスポックの到着を待ちわびていたという方が説得力があるよね。

真ん中にクリンゴン絡みのエピソードをはさもうとし、ネロというキャラクターに壮絶なドラマを背負わせようとした結果、こういうことになる。まあ、映画でこのパートを丸ごと割愛したのは正しい判断といえるだろう。

Borg の由来の技術により自己修復していたナラダが25年たって「目覚める」きっかけと、スポック(prime)がいつ、どこに現れるかをネロが知るためのギミックとして、シリーズのファンならおなじみの「あるもの」が登場する。 Borg 文明との関連を噂される、セクター001(地球)を目指して航行中の例のやつ、だ。このくだりは、ファンサービス的な意味で少し面白い。

あと、デルタヴェガという星が、ある種、特殊な軌道を巡っている惑星であり、それでヴァルカンの崩壊を見物するのに丁度よい、という説明がなされている。(ここから推測されるに、デルタヴェガはヴァルカンと同じ星系に属しながらも、長大な楕円軌道を持った惑星と考えられるが)、それがなぜ、食料補給もままならないような辺境の地であるのか、依然として説明がつかない。惑星連邦の創設メンバーでもあるヴァルカンの、そのすぐそばに位置する「近場の星」であることには違いがあるまい?

作品全体としてみると、ここには特筆するようなドラマもストーリーも何もないという点で面白くもなんともない。脚本段階で存在したけれど本編からはカットされた一連のエピソードと背景設定を説明しているだけで、そもそも独立したストーリーですらないのだから、それはまあ当たり前ではある。アートワークはCountdown と同様に力が入っていて、なかなかよい。

0 件のコメント:

コメントを投稿